The Mediterranean

 

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たとえば、この街を歩く人がタンクトップ一枚だったりダウンにマフラーを巻いてたりする。
それだけで自由な気分になる。

 


一杯の真っ黒いエスプレッソを飲み干して、
苦い煙草を吸い終えるまでにどのくらいのことがイマジンできる?

 


ハッピーエンドだろうがそうじゃなかろうが、別にどっちだっていいよ。
そんなことより、いつだって正直に生きるってなんて美しいことだろう。

 

 

 

これが地中海か。
潮の匂いのしない海だった。

町はずれの小さなビーチ。
浅瀬では小さな子どもが素っ裸で遊んでいる。あまりにも強い風の中で。

 

 

海沿いの通りをしばらく歩いて、
おれを追い越そうとしていた真っ赤なバスに乗った。

バスの中で、おれの知らない綺麗な花の鉢植えを抱えて立っていた彼女は、とても純粋な目をしてた。

 

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Paint It Blue

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野良犬は吠えるけどキャラバンは続く。
冷めたコーヒー。キャロルキング。

 

 

今日の空はまるで全てを知ったような顔をしてるけど
おれはそんなことに気がつかないような振りをして、手持ち無沙汰の煙草に火をつける。

 

匂いのないこの街では、あまり美味しくない安煙草で充分だ。

 

 

物を言わずに地図を切り裂く空色の列車。
一人、ずいぶん遠くまで来た気がする。

 

 

あんたはおれの兄弟みたいなもんだろう。
それだけでなにひとつ、
深刻なことなんてなにひとつないだろう。

 

ましてここが世界の果てでもあるまいし。


" Excuse me, while I kiss the sky " 

 

 

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コンビニのグラタンとボブディラン

 

嫌んなっちゃうくらい寒いな。

 

 

年が明けてだいたいやることが終わってきて、

あとは旅への上り坂の滑走路、みたいな段階なんだけど、最近は。

 

 

騙し騙し働いて、毎日安チューハイとロックンロールで脳みそシャッフルしながら、

部屋でくだらないことを考えるのにハマってる。

 

坐禅やヨーガに近い、

おれの生活の中ではそんなもののような大切な時間みたいだ。

 

まあ旅に出るにはぴったりなマインドって感じだ。

 

旅に出るときはいつも "半終活" みたいな感じになる。

要らないものを処分したり、食料の買い置きをストップしたり。

行く前なんか向こうに着けるのかもわかんないと思ってるんだから、帰ってくるなんて想像もできない。

ネガティヴでもなんでもなく、死ぬかもしれないしなあとか思ってる。

 

今回はどんな国に行くか、いつ帰ってくるか、なにするか。

どんな旅にしたいみたいなプランやビリーフもなにもない。

こんなフリーなことってあんまり普段ないじゃん?最高だよね。

 

 

 

さっきコンビニにグラタン買いに行ったんだけど、

インド系の店員のお兄さんが、熱々にレンジアップしたグラタンを手で持てるように店のクーポンチラシで持ち手を作って渡してくれたんだよ。

 

おれがレジ袋要らないって言ったんだから、やらなくてもいいこと。なのにやってくれた無償の一手間。

 

アンルイスじゃないけど、そんなたったひとつのことで人の気分なんて変わる。

もしかしたらそんな些細なことで人生変わるひともいるかもなあ、とか思って。

 

ひとつひとつの言葉と行動に愛を込めていけたら最高だよなあきっと。

 

それでみんながみんな、すこーしずつ、

相手の気持ちを想像して暮らせたら世の中めちゃめちゃホットな感じになる気がする。

 

セブンイレブンの店員のお兄さんの愛であつあつなグラタンが朝食でしたよ、って話。

 

 

 

"半終活"なマインドだから知らないけど、

最近、懐かしい友達と会ったり、話したりしたい感じになっていて。(10年に1回クラスの金欠なんだけど)

東京にいるやつとは会うし、世界中に散らばってるやつらとは電話。共通言語があんまないやつとは翻訳まじりのメッセージ。

 

ほとんどが、なんだかんだで長い友達なんだけど、

みんな年齢とか世の中的なステージで動くというよりも、それぞれ社会みたいなものとちょうどいい距離感で付き合いながら、

根本なんも変わってなくて安心する。そりゃ当たり前かもしれないけど。

 

みんなオリンピックくらいの周期でもいいから気が向いた時に地球のどっかで、一緒になんか面白いことしようね。

 

 

 

そういえば、

冬だけどソウルミュージックを聴いてないな。

今年の夏は海行かなかったな的な。

 

サンレコード時代のエルヴィス。

ビリージョエルのニューヨーク52番街とターンスタイル。

ザ・ピーズ、ブランキーのbang!とC.B Jimあたりが今シーズンのフェイバリット。

 

それに夜中酒を飲んでると、毎晩ディランがおれの顔の覗きこんで「How does it feel?」って聞いてくるんだけど、

気分?そんなもんわかんねえよ。とりあえず歌ってくれよ、って感じ。

 

 

そんな感じなので

ディラン先輩の大名盤、Blinging It All Back homeから

Maggie's Farmを。

まだザ・バンドとやりだす前?

この時のエレキギターはマイクブルームフィールド。

メタメタに弾きまくっていて、まさにパンクフォーク。

 

https://youtu.be/QPfsUlFxhrI?si=cykHeyVMd0h6h5iK

 

 

 

 

 

 

2023

今年も更けていく。

どんな年だったんだろう。

あまり過去に興味がないからよく憶えていないっていうのが正直なところだ。

 

 

今年は学びに触れることが多かった。

我ながらよくやった、とか思ったりしてる。

 

学ぶ、ということ。教えるということ。

そんなことの意味を考えながら、

そんなことに丁寧に直面した。

結局のところ、人と関わることの大前提にあるのは"リスペクト"だ。

 

 

今年は旅はあんましてないけど、

遠く知らない町をうろつくだけが旅じゃないからな。

いや、香港とマカオを旅したの今年か。

 

念願の大聖地 "重慶大厦"を拠点に香港の風の匂いを嗅ぎに行く。

人やモノや情報がひしめき合う半島には、

やっぱりそこで楽しくやるコツがありそうだった。

 

重慶大厦の無秩序さ。香港島に渡るスターフェリーの揺れかた。安食堂の炒飯。

どれをとってもそれこそが香港だった。

 

フェリーで香港からマカオへ。

イメージ通りカジノ街の特別区って感じだったけど、意外にも香港にはない"隙間"があった。

 

バブル丸出しのホテル街を抜けて、

ヨーロッパ建築の石畳の坂をタルトを齧りながら登る。そんなゆとりがあった。

 

 

今年も旅で出会った人、東京で出会った人。

とにかくいろいろな形で絡んだ、これから絡む人。そうでない人、すべての人に愛を。

 

 

 

"なにをやるか"より"どうやるか"

それが今年のテーマだったような感じがしてるけど、いやこれからのテーマだろう。

 

 

ヴェルヴェットアンダーグラウンドを聴いてる。

わりかしハッピーな気持ちだ。

 

街は大晦日

相変わらずにベローチェでコーヒーを飲んでるわけだけど。

晦日ってのは、毎年なぜか早起きしてしまう。

なんか数週間前から感じる年末の空気感とはまた違った独特なムードがある。

 

月並みな言葉にはなっちゃうけど、

なんて平和なんだろう。

 

"なぜか今日は殺人なんて起こらない気がする"

 

チバくん、今日こそそんな感じがしない?

 

 

 

 

愛し合ってるかいがきこえる

 

みんなどんな感じ?

おれはどこか遠く放浪したくてたまらないぜ。

 

 

最近は普段あんま連絡取らないorメッセージでしか話さない友達の声を聞くことに最近ハマっていて、

ビール片手に他愛のない話をしたりしてる。

 

友達なんて数えるくらいしかいないけど、

夜中にほろ酔いで、用事のない話をすると、

丸裸の付き合いみたいになって楽しい。

 

おれの周りにはこんなホットなやつがいるんだ。

それだけで、だいたいのことはちっぽけに感じる夜がある。

そこに愛があればそれだけでいいよって、

柄にもなく思ったりもする。

 

 

 

アジアをぶらぶらと放浪したりするのがライフワークのおれだ。

たくさんの光景に、言葉にできないような感情にさせられ、

たくさんの人に生き方にルールはないことを教わった。

 

いつまでも受け取ってばかりじゃ貯まってく一方。

そろそろおれも与えていこう。

いまは自分に他人に与えるほどのなにかがあるとも到底思えないけど、

受け取るやつが勝手になにかを受け取ればいい。

ていうか自分が発した後は、届こうが、なにも届かなかろうがどうだっていい。

顔を突き合わせた人には、ただ発していこう。

 

 

 

純粋ってなんだろう。

誰かがおれを純粋って言った。

おれの辞書に載っている純粋の意味は、

そりゃ誰だってそうだろ?みたいなことなんだけど、

わざわざ「お前は純粋なやつだ、」っていうくらいだから、純粋の意味もよくわからないおれは純粋なのかもしれない。

そして人に「純粋だ。」なんて言えるあなたもね。

 

 

 

最近一人で静かに発泡酒を飲んでると、

清志郎や、ヒロト高橋歩チバユウスケがドアをノックしてくる。

来客が多いけど。みんなたくさんは喋らない。

同じようなことしか言わない。それがいい。

 

 

 

たまに無性にイマジンが聴きたい夜ってない?

ジョンももちろんだけど、おれは清志郎のことが多い。

 

地面には人間が国境を引いたけど、空には引けないような感じがしない?正論返しはなしね。

そう思ってみるだけで、だいぶ豊かな気持ちになれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なめつくしたドロップの気持ち

 

年末ってやつみたいだ。

東京の12月がしっかりと効いたコーヒーを飲んでいる。

来年はどこで年を越すんだろう。

 

 

 

みんななんだかんだ大変だよなあ。

目の前の壁にしっかりぶちあたっていくと人にやさしくなれるような気がする。

運命ってやつは今年はどこで年を越すんだろう。

 

 

チバユウスケが死んだ。

とても死んだとは思えない。

おれの部屋をノックしてきたわけでも、

会ったことがあるわけでもないけど、

勝手に彼を兄弟だと思ってる。

おれも、

"アスファルトから聞こえてくるロンドンパンク"

に耳を澄ます子供だった。もちろん今も。

チバが死んだことで、それがより浮き彫りになった。

 

 

 

相変わらず本当にくだらない小さなことに揺り動かされてばっかりのおれだ。

くだらないことにこそ揺さぶられてしまう人間なのだ。人間をやってる感がすごい。

 

そんなことだから子供騙しみたいな歌に励まされてしまったり、

タイ人の言う "マイペンライ" に生を感じてしまったりする。

みんなだって本当はそうだろう?

 

"終わらない歌" が本当に一生終わらないでくれ、って思ったことはある?

 

 

 

日本のミスターロックンロール、鮎川誠が死んだ。

おれたちの兄さんだったアユが死んだってことは、いざ起こってみるとロックンロール界の大事件だった。

 

あり得ない数の人がとても悲しんで、

「ロック葬」には絶対に入りきらない数の革ジャンを着た人たちが集まった。

あれ、ロックンロールってなくなっちゃうんじゃない?

そんなことを初めて感じた。

 

 

10代の終わり頃、サンハウスの「有頂天」のCDを聴いたおれは、「こんなヘヴィなブルーズを日本語でやってるバンドがいたのか!」って思った。

 

ちょうどおれのばあちゃんと同い年くらいの彼らは、今から50年くらい前に博多でこんなにゴキゲンでいて危なっかしいブルーズをやってたのだ。

 

おれが唯一アユを生で体験したのは

2013年夏の代々木公園で、シーナアンドザロケッツだった。

シーナが亡くなる半年くらい前。

今思えば、その時すでに体調は悪かったのかもしれない。

 

レコードで聴いてたシーナアンドザロケッツのロネッツみたいな曲をニューウェーブサウンドで包んだようなポップス、なイメージはステージで観たものは全然違った。

 

シーナはこれぞロックンロールのディーバって具合にケバケバしくぶっ飛んでいて、ティナターナーばりの存在感だったし、

その横でアンプフルテンの爆音ギターを鳴らすゴキゲンな男。最高だ。

ロックンロールの擬人化みたいな2人。

内容の伴ったシドアンドナンシーてな感じ。

 

今でこその世代こそが「真っ正直にロックンロールの洗礼を受けた熱い世代」って知っているけど、当時60歳を超えた人がこんなにも「なりふり構わない」ことがあるのか、って思った。

 

ちょうどその数ヶ月後に、ポールマッカートニー、ローリングストーンズと、70代でバリバリにやっているロックンローラーを生で観て、

いよいよおれの中で年齢はただの数字になっちゃったんだけど。

 

アユは明らかに「地図の外」にいる人。

これは最近、甲本ヒロトが歌ってた言葉だけど、(ヒロトこそどんどん地図の外に行っちゃってる)

社会の前に世界、で生きているような感じがする。

そんなことは子供の頃から感覚として当たり前だと思っていたけど、

大人みたいなやつになって世の中で人と関わると、ほとんどの人が社会で生きているような感じがして、なんか思ってたよりつまらない、と思ってしまった。

 

みんな年齢や性別、立場で自分をやっている感じがする。

20代のおれにおっさんやおばさんは、

「若いなあ。羨ましい。」とか

「その歳ならまだなんだってできるわよ」

みたいなめちゃくちゃくだらない言葉をほぼ全員がかけてくる。

「おじさん」という役職についてそれを演じてるみたいだ。

 

「おれももう歳だから、」とかいうやつ、

おれが子供の頃、親戚や周りの大人はそんなテンションの人はいなかった。

 

年齢や立場がないような人なら誰とでも飲み仲間になれるけど、

ある人とは仲良くなれない気がする。

「おっさん」を演じてくるってことは、どこかおれも「若者」として見られていて、それを演じなければ会話が噛み合わない。

「私も歳だから、、、」とか言われたら「そんなことないよ」とか言う典型的な会話はおれにはできないし、本人がいうならそうなんでしょうね、になってしまう。

 

だから30代とかでも自ら歳に合わせていってる人は、おじさん、おばさんって感じがするし、

80歳でも、「ただの自分」をやっている人は兄さん、姉さんと呼びたくなる。

 

話は飛んだけど、おれのばあちゃんの世代であるアユとシーナはまさにおれの兄さん、姉さんと呼ぶのにぴったりだった。

 

アユは50年以上前から死ぬまで、

おんなじような3コードのような曲をおんなじような格好でおんなじように歌ってた。(おいクラプトン聞いてるか)

 

70過ぎて、あんなにバカみたいな歌い方(ブルーズはそれがめちゃくちゃ大事)でガッシャガシャにギターを弾く。

全く進歩がない。進歩がないってなんて素晴らしいことなんだろう。

 

おれも立派になったり進歩しないように頑張ろう。