男のかっこよさ

 

アメリカのロックバンドに The Band というバンドがいる。

1960年代の終わり頃に出てきたバンドだ。

"アメリカンロックの最高峰" なんて言われたりしている。

おれはザ・バンドが大好きだ。

核である部分以外を削ぎ落としている彼らのスタイルからは男のセクシーさを感じる。

時代はサイケデリックサウンド全盛。

楽器も多ければ音も多い。(そんなのはそんなので好きだけど)

その上だいたいバンド名も長い。ジェファーソンエアプレーン、クイックシルバーメッセンジャーサーヴィス、ヴェルヴェットアンダーグラウンド、どれも長ったらしい。(全部カッコいいし最高)

そんな中に ザ・バンドだ。

バンド名からのイメージまでも排除されていて、むしろ、もう少しちゃんと考えたら?と言いたいくらいのそのバンドのサウンドはまさに間を楽しむ音楽だ。

楽器も最低限、バスドラムの弛みがしっかりと聴こえるくらいの音の薄さは男臭くてたまらない。引き算の音楽だ。

外側から減らしていくのは度胸がいるし、おれは身を削いでいく男らしさみたいなものには断然弱いということだ。

 

例えば男はつらいよの寅さんだってカバン1つでフラフラとしてるからかっこいいんであって、毎回旅に出る度に、「兄ちゃん旅に出るよ、荷物は明日クロネコヤマトが取りに来る。」なんて言われたらさくらも泣くに泣けないだろう。

身一つで生きている。という男のセクシーさだろう。

女は多少着ているくらいが一番セクシーだけど(当社調べ)、男は脱ぎ捨てれば捨てるだけセクシーだと思う(精神的にね)。

引ける男はかっこいい。

 

飲み屋でちょっと頭の弱そうな女が「結局男は白Tにジーパンが似合うかどうかだよねぇぇ」と言っていたのを思い出した。

 

 

 

頭の中を、世良公則&ツイストの宿無しが回ってる。

時刻は深夜1時を過ぎた、これからがおれの時間だ。

夏が行って秋がきた。最近は街的な仕事、ウーバーイーツで健康的に日銭を稼いでる。

今月の終わりから飲み屋の仕事が忙しくなるからそれまで。

そして来月は友達に会いに韓国、ソウルに行く。いつものことだけど、その後のことはなにもわからない。

そろそろもう少しやりたいようにお金を稼ぐことを考えていきたい。

 

ミャンマーのこと

 

旅から帰った。

ミャンマーヤンゴンからバガンマンダレーとバスで回ってヤンゴンに戻ってバンコクに飛んで4日くらい遊んで帰ってきた。

バンコクでは去年の貧乏旅行とは打って変わってカオサンもスルー。

バンコクのど真ん中エリア、スクンビットにわりと奮発してホテルに泊まった。

昼間は買い物、夜はゴーゴーバーで酒を飲む、みたいなわりとベタなバンコクを楽しんだ。

結局街っ子なので都市が好きだ。

バンコクは東京よりも街にエネルギーがあって明るい。それに電車もコンビニもスーパーもたくさんあって東京に暮らすのと水準はあまり変わらない。軽い気持ちで移住しちゃいたい感じ。とくにスクンビットエリアなんかにいるとおれの地元池袋よりも充実してるんじゃないかと思う。まあわりと物価は高くてパブでビール頼むと余裕で300円くらいはしちゃう。

まあミャンマーでわりとキビキビと旅をしたおれにはちょうどいいご褒美だった。

今回は特に沈没もしないでよく移動した。

 

ヤンゴン。煤けた都会で、街の真ん中のパゴダがとても神聖だった。街の真ん中にはインド人街と中国人街があって、食に関しても文化的にもインド系、東南アジア系、中国、という隣国の影響が混ざり合いながら、ミャンマーそのものの文化、風土が溶け合った混沌とした都会だった。屋台通りでビールを飲んだり、ディスコに潜入して女の子にバリバリの日本語で接客されて少し萎えたりした。シュアダゴンパゴダはとても美しくすっきりとした気分だった。

 

バガンヤンゴンからバスで北に9時間半。田舎町に遺跡、仏塔がたくさん残された遺跡の町。すぐ近くのニャウンウーという村に泊まった。田舎なので村全体電波も不通ぎみで道路ま舗装されていないのどかな田舎。電車もバスもないから移動は基本バイクか馬車かトゥクトゥクをチャーターという感じ。宿で借りたバイクで遺跡群をひたすらドライブしてまさに、さーすらおーおー という感じ。カンボジアシェムリアップのアンコール遺跡、タイ、アユタヤのアユタヤ遺跡群を思い出した。雨期のミャンマーの中ではわりと晴れ間が多かった。

 

マンダレーバガンから北東にバスで5時間くらい。ヤンゴンに次いで第2の都市。街の真ん中には大きな鉄道駅とお堀に囲まれた旧王宮、日本の皇居みたいな感じ。第2の都市とはいっても生活感ばりばり。山なんかが近く日本の地方都市みたい。街はずれの丘の上には寺院があって裸足で1000段近い階段をひたすら歩いてのぼった。マンダレーラムとか有名みたい。バーベキュー料理屋が多く焼きそばを頼むとブタメンみたいな激細麺で意外と美味かった。

 

ミャンマー、全体的に観光客が少なく、安宿街や観光客向けのレストランなんかが全然無く、まだまだこれからって感じだ。物価は東南アジアでは平均的かちょっと安め。宿泊費、交通費はちょっと高めかな。アジアの中でも仏教が根付いていて、信仰がしっかりとしてる。タクシーが街のパゴダの横を通る時には必ずドライバーがお経を唱えてお祈りをしていた。

町中でも半分以上の人がロンジーという筒状の布を履いている。これがミャンマーの正装で若者もロンジーをみんな履いてる。

雨が降るとみんな傘を差すし、みんな顔にはタナカという日焼け止めを塗っていて、東南アジアの他の国より、文明と寄り添って暮らしてる感じがした。

外国人あんまりいないのにあまりみんな興味がないみたい。店の人や目があった人もだいたい怖いくらい真顔だけど話かけたりするとみんな急に笑顔になるし意外とおしゃべりだったりする。

みんな甘いものが好き。やっぱり子供たちがよく働く。

古き良きアジアみたいな雰囲気がとても残っているし生活感があってスレてない感じだけど、10年後がどんなことになってるか想像もつかない、まさにこれからの国。

10年もしたらホーチミンくらいのことにはなっちゃうかもしれない。

 

 

 

 

時刻は12時。前の街バガンからそうだけど、マンダレーは特に夜やることがないからエアコンの操作が謎ですこし寒い部屋でだらだらとYouTubeを見たりいろいろ考えたりして過ごしてる。マンダレーもまだ2回目の夜だけど、明日にはヤンゴンに戻る。

また夜行バスで。ヤンゴンからバガンに行く時に使ったJJ Expressという会社のバスがとても快適で楽しかったからわざわざJJ指定で予約した。明日の夜発だ。

座席広いし背もたれ倒して足伸ばせるしエアコン効いてて快適。バガン行きの時は10時間近く乗ったけど、まだ乗れたな。

明日でマンダレーも最後。今日は街中うろついたから明日は寺だ。マンダレーにもパゴダがいっぱいあるし、調べてたら何個か行きたいとこがあったから明日全部回ろう。

そう、なんかミャンマーいつもよりテンポの速い旅だ。

ヤンゴンバガンマンダレーと全部3日ずつしかいない。いつもならもっと一つの町でだらだらして、「あそこも行こうと思ってたけどやっぱいいや〜ここに居よ〜」みたいなのが通例だ。

そんなんで、インドのバラナシとかタイのバンコクには1週間以上居た。

効率よく、というのもあるけどまずミャンマーの町そのくらいでちょうどいい町なんだ。

それは良い悪いではないけど、だらだらといるほどになにかあるわけでもないし、まずパブストリートみたいなのがないのであまり酒も飲まず昼型に健全にやってる。嘘、結局YouTubeみたり夜更かしして昼近くまで寝てる。

その点バンコクとかパタヤみたいな  飲み屋に特化した町  はおれをダメにする。でもそんなとこでダメになってるのが楽しいみたいなのも大いにあるな。

それにミャンマーはバス移動の快適さだ。バスが一番安くて速い、バス一択の国なんだ。

それにおれは意外と列車よりも車の方が好きだ。

明日も10時間以上乗る。

明日バスが21時半発なので、普通に昼チェックアウトして、また夜までダラダラどっかで時間潰そうかと思ったけど、ヤンゴンでギリだし、マンダレーだったら絶対持て余すなってことでホテルにレイトチェックアウトを頼んだ。しっかりもう1泊分取られたけどだいぶ楽できる。

ここまでわりと節約してきてたしいいだろう。

マンダレーは思ったよりなにもない。

バガンみたいに明らかに田舎ならいいんだけど、わりと都市なのにバーとかコンビニとかないと反動でわりと飽きちゃう。

ヤンゴンでもショッピングセンターうろうろ、湖でぼーっと、でだいぶ時間長かったけど、今回はもっと時間も遅い。

うろうろもするけど夕方やっぱ一回休みたいし、シャワーも浴びれるなら最高。

使うところにはお金は使う。

綺麗事ばっかりの旅にするつもりはないし、やっぱりだらだらしたい。

だし、ラーメンが食べたいだの、牛丼が食べたいだの毎日思ってるし(バンコクにいったら即ばんからに行く)、宿も飛び込みにこだわらずめんどくさいときはネット予約する。

別にオーソドックスにバックパッカーのスタイルはやらない。まずドミトリーは泊まったことない。

とにかく自分に正直にやる。

ちょっとのお金で快適になるなら払っちゃうし、逆にあえて安い席のほうが現地の人だらけで面白いんじゃんとか、転がる方に転がる。

そんな選択のひとつひとつから自分が見えるからおもしろい。

なんでミャンマーまできてケンタッキーなんだよ!とかおれにツッコんおれもいる。

そんな自分の自由さと不自由さ、ダサい自分とカッコいい自分が毎日たくさん見れるのが旅だ。異国に一人放り出されるとごまかしきれないことだらけだ。

おれダサいな〜の連続だけど、旅を続けるうちにおれやるじゃんが少しずつ増えてきてると思う。

この間まで、「市内バスよくわかんないから高いからタクシーでいいや」とかやってたのが今では現地人に混じって10円くらいのぎゅうぎゅうのバスで移動してる。とか、

カレー手でモリモリ食べてんじゃん、自分で宿取れるじゃん、から始まって。できることが増えてどんどん自由になっていってる。

結局タクシーも乗るけど、いままではタクシーしか選択肢になかったけど、「バスめんどくさいし、タクシー安く交渉できたからタクシーで行っちゃお」は違うよね。

すでに明日寺のある丘まで、なにで行こうか迷ってるバスは走ってないからバイタクか宿の自転車か。ちなみに宿で貸してくれる自転車は車輪に野良犬かなんか挟まってんのかってくらいペダルが重い。埼玉県警の防犯登録シールが貼ったままだ。でも無料で貸してくれる。

さすがちょっといいホテル。

もちろんダブルベッドだし枕が4つもついてるんだ。そんな宿とも明日でさらば。

次はどんな所だろう。いつものことだけど全く期待してはいない。

 

 

 

 

一人旅で大事な嗅覚

 

東京、成田からバンコクを経由してヤンゴンに着いたのは夕方6時すぎだった。

そのまま日本から持ってきた新札のドルをミャンマーチャットに両替して、現地のSIMを手に入れてタクシーで市街に出た。

雨期真っ只中のヤンゴンは雨が降ったり止んだりしていた。

ヤンゴンの街は高いビルが林立してはいるがそのほとんどがボロく煤けていて

東南アジアのどこか冴えない中型都市のお手本のような感じだ。

ただ一つ違うのは、大きな仏塔、パゴダが冴えない街の中心でライトアップされ輝いていること。

毎度の事ながら今日の宿を決めてない。重い荷物をカメのようなフォルムで街を歩き宿を探す。

ヤンゴンは他の東南アジアの街と違って、安宿街もないし、街にあまり目立たなくホテルやゲストハウスが点在してるみたいだ、

スーレーパゴダをスルーしてダウンタウンの中心らしい辺りを歩いていると、

一人の青年が声をかけてきた。

他愛もない話から始まって、宿を探してるというと、安い宿に連れてってくれると言い出した。

なかなかに怪しい。

興味本位で着いていくことにした。

少し歩くと彼は「酒は飲むのか」と聞いてくる

「飲むよ」と答えると、1杯飲んで行こうと、すぐそこの大きなビルの2階のテラスの飲み屋を指差した。

正直、このでかい荷物を先に下ろしたかったけど、その店の雰囲気がなかなかいい感じだったから1杯だけと言ってついて行った。

その店はダウンタウンの中心の大きな交差点の角でこの交差点を挟んであっちとこっちでちょうどインド人街と中国人街になってるという。

おれが歩いてきたのはインド人街だった。やけにインド系の人が多いとおもった。

そこでミャンマービアを飲み、煙草を吸って喋った。途中そいつの いとこ  とか言うやつがどこからか合流した。

最高に怪しい。

彼は、宗教上今は酒が飲めないからとエナジードリンクを飲みながら、家族の話やらいろいろしてきた。

店の奥のきらびやかなステージでは純朴そうな女の子がマイクと派手な扇子を持ってミャンマーのポップスを歌っていた。

1時間くらい経った頃、大瓶のビールも飲み終えて、そろそろ帰ると言うといとこが、

道を挟んで隣のビルのKTVの看板を指差して、

「あのKTVはおれがオーナーだから一杯飲んで行こう、可愛い子もいるぜ」と言いだした。

怪しいというかもうそれじゃんとかちょっと面白くなったけど、長いフライトで眠いし、断った。

「じゃあ宿に連れていく」と言って青年がスマートにお金を払った。ここで奢るのもこっちとしては警戒心が強くなる。

店を出て3人で歩いてる頃には、おれももうだいぶコイツらが面倒くさくなってきていた。

1件目の宿に入っていく、明らかにボロいし暗い。宿の親父が満室だと言うと、

じゃあこっちだと次の宿に向かっていった、

だいぶ歩いて暗い路地を進んでいく、これ以上先に行くと自分一人ではどうこうできなくなるな、と思っていたその時、1軒のゲストハウスを見つけた、そこは名前に見覚えがあった。多分事前に調べていたときに地球の歩き方かネットで見たんだろう。

「これゲストハウスじゃん、ここ見てみていい?」というと彼らも渋々着いてきた。

部屋は空いてるみたいで、スタッフの少年が部屋を見せてくれた、後ろから奴らもズカズカ部屋に入ってくる。

もうだいぶ前からおれはコイツらを完全警戒モードにしていた。

他に安宿もなかなかなさそうだし、もう時間も遅い。だけど、ここでこの宿に決めてしまうとコイツらに宿も部屋もバレる。それはあまりよろしくないと思った。

「ここにするのか?」と奴らが聞いてくる。

おれは敢えて、ボロいしあんまり良くないと言って気に入らないフリをして外に出た。

そして奴らに自分で探させてくれと言った。

しばらく奴らも粘ってきたけどやっと食い下がり、じゃあ最後に日本のコインをくれというので100円玉を2人に1枚ずつあげた。

興味ある風に見つめて、日本のお札も見せてくれと言ってきた。さすがに断るけど、しつこい。写真を撮るだけだと言ってくるが断り続けると、「じゃあさっきのビール代の半分だけ払ってくれ」と言ってきた。

1000チャットを要求された。この額はそんなにぼったくってもなく妥当だとおもう。

そんなんで済むならと払おうと財布を出すと、日本の金見せろと奴らは財布の札に手を伸ばしてきた。さすがにキレそうになったけど、この街であいつらを敵に回すと圧倒的に危ないのはわかってる。穏便に済ませたい。

とにかく財布は出すのをやめてシャツの下のセキュリティポーチを指させれて、そっちには日本のお金ないのと言うから、ないし、いいから帰れと2000チャット強引に渡すと、彼らも諦めたのか来た道の方へ帰っていった。

おれも彼らがいなくなるのを確認して、一度その場を離れ他のホテルを探しにいったフリをして、こっそりとさっきのゲストハウスにもどった。

彼らに知られていない新しい宿を探した方がいいとは思ったけど、時間も時間で見つかるかどうか微妙だし、さっきの宿の条件がよかったんだ。

宿のスタッフはみんな10代くらいの子供たちだった。

アットホームな感じとさっきからのシーンの変わりようになんだかとてもホッとした。

その宿は、OKINAWA G.H、日本人宿ではないんだけど何故かオキナワ。

まあベタな安宿という感じで古めだけど、ちょっとお洒落で、オキナワというイメージなのかウッディでどこか南国のコテージ風かもしれない。

ベッドを囲うように天井から蚊帳が下がってた。

蚊が多い東南アジアで意外と初の蚊帳。

真っ白い蚊帳にすっぽり囲まれるのはとても安心感があってよかった。

1泊20000チャット。1600円くらい。ホテルが高めのミャンマーではまあまあ安い方だとおもう。とりあえず2泊で取った。

スーレーパゴダから路地を1本入ったような所だ。

日本時間の明け方に家を出て、2本のフライト、悪い兄ちゃんたちと遊んでなんやかんやで、時間は21時すぎ。やっと重い荷物を下ろした。

行き帰りのフライトが一番大仕事、とりあえず無事ヤンゴンに着き何より先にしっかり寝て体力回復を図りたかった。

いつもの通り、まず自分の落ちつくように一通り荷物を開いてしっかり部屋の鍵を確認して荷物は全部ベッドに置き、貴重品は枕の下に入れ眠った。

あの兄ちゃん達の真相はわかんないけどきっと悪いやつだろうけど、そんなに積極的じゃなかったので逆に油断したところはあった。

異国だと勝手もわからないし、ましてや怪しいやつって絶対複数人でくるから、彼らのテリトリーで外国人一人真っ向からぶつかるのは危ない。一人旅は自分の危機管理、危ないことを嗅ぎ分け嗅覚がなにより大事になってくる。

日本ではあまり意識しない、自分の身を自分で守る、という感覚を一番根底に持ってなきゃいけないと改めて考えた。

 

 

 

東南アジアのような暑さ、連日摂取35度を超える東京で過ごしてる。

なにかを書きだそうと思うときも、挨拶程度にやっぱり天気の話なんかから入ってしまう。

おばさんは毎日2言目には、「暑いわね〜嫌んなっちゃう」がマスト。憂歌団じゃないんだから。

そう、毎日おばさんに囲まれて働いてる。神宮前の喫茶店。それも今週まで。

一夏の思い出にはなったけど、おれはこの仕事に 嫌んなっちゃった  って感じで、

3ヶ月半くらいやったんだけど、同じことの繰り返しで飽きてしまって、って飲み屋だってまあまあそんな感じだけどもう4年くらいやってるし、よくわかんないけど、 気がすんだ  んだろう。今のリズムには。

別につまんなくかった訳じゃなくて。

そんなんもあと4日で終わる。

久しぶりに昼間の暮らしをやった。

やっぱり朝起きるのは体に悪いとおもったし、夜中の街をうろうろできないのはつまらない。

日付が変わった頃に寝に入るのはすごくもったいないし、やっぱり夜中する徘徊や考え事はとても大事だと思った。

それで再来週からミャンマーに行く。ビルマの旅ってやつだ。

どんな所だろう、今まで旅した所より情報が少ない。

ただこの季節の東京から行くと下手したらヤンゴンに着いて最初の感想が  涼しい  になっちゃうんじゃないかっていう不安がある。

やっぱり東南アジアは不快な暑さであってほしい。

ベトナムでスられたものは一通り買い直した。保険が下りたといってもそれはとても馬鹿馬鹿しい作業だった。新しいカメラは6万円くらいした。でもこれで万全だ。

ミャンマーは東南アジア最後のフロンティアとか言われてるらしい。最初に降りたつヤンゴンという街は都市ではあるけども煤けた感じでカオスな感じがする。どんな所だろう。

 

 

思ったこと

 

相変わらず何になりたいとかじゃなく、おれになる、おれでいるように暮らしてる。

社会とかいうセロファンでできたようなチープなフィルターをかけると25にもなって定職にもつかないでノーフューチャーなやつだろうか。

歳を取ったり国の中で働いたりして時間を過ごしてると世の中とのギャップがめんどくさかったり、逆に気持ちいいことがある。

世の中の同い年くらいのやつは大学とかを出て就職とかをして、世の中にしがみついて立派に見えるし頑張ってる。

その間ずっと遊んでるおれは立派とはほど遠いところにいるけど人生頑張ってる。

もうすぐ平成が終わるらしい。

おれは平成しか生きたことがない。

世の中は変わるとも言われてるけど、わりと他人事だ。

おれはおれの時代。今もこれからもおれの時代。

君が代ならおれが代だし、フーはマイジェネレーションって言ってたし、ミックジャガーはタイムイズオンマイサイド歌ってた。

つまらない世の中でおれたち楽しくやろう。

財布より心に余裕をもとう。

そんなサムシングでお金もらって安い酒でも飲めたら最高じゃん。東京でもバンコクでもどこでもさ。

愛のあるくだらない人たちと生きていけたらいいし、世の中そんな人が増えたら絶対いいから、もしおれだけでもそう在ろう。

くだらない仲間どんどん募集中。