年明け駄文

 

年明け。

結局いつだって今年。

 

なんか今年の寒さはおれにはヘヴィ。

ただ、前にネパール、ポカラ買ったマウンテンハードウェアのコピーのフリースがネパールよりも寒い真冬の東京で、思ったよりもいい仕事している。

 

 

年末年始。ぬるっと通りすぎた。

最近だいたいそうだけど、年末年始だからといって世の中的なそれらしいイベントは特にない。

べつに、7月31日から8月1日になるのと大して変わらない感覚だ。

 

 

相変わらずおれは心東京に在らず、なのでどこか遠くに行ってしまいたい。

マイスイートホームタウン。故郷ではあるけど、今のおれのバランスは、東京は仕事場、アジアが遊び場という感じ。

 

東京にいても東南アジアの重たい熱風、音楽を聴けば、行ったこともないシカゴ、メンフィス、ミシシッピ。心ここに在らず。

 

 

この前久しぶりの劇場に観に行った、バンコクナイツって映画。

劇場でしか観れないっていうんで、何年か前からずっと観たかった映画。

当然のようによかったなあ。

大まかな筋はロードムービーって感じなんだけど、とにかくロケーションと音楽。おれの大好物。

バンコクの都市。猥雑さ。

ネオンライトの街、ゴーゴーバー。

それからタイの田舎。イサーンからラオス

畑、寺、メコン川の夕焼け。

ストーリー抜きで映像だけでうっとりしてしまうような。

DVD出してくれないかなあ。

 

 

 

 

圧倒的に音楽を聴く時間が足りない。

素晴らしい音楽があまりにも多すぎて、色々なところに手を出してしまうせい。

2022年。ここ100年、たくさんの素晴らしいアーティストが世界中で誕生してきた。

全て出揃った時代を過ごしていることは最高に贅沢なんだけど、それだけ忙しなくなってしまう。

ビートルズだけでも一生聴けるしね。

 

ロックンロールにアメリカのリズムアンドブルース、サイケデリックサウンド

ロンドンのクソガキたちも大昔からみんな最高にクールだし、日本のバンドブーム。タイのモーラム。ジャマイカのスカ。

それに、同じ音楽も久しぶりにふと聴いてしまうと再熱してしまうループ。

結局ティーンエイジャーの頃に聴いていた音楽は今でも軸になっている。

 

 

 

 

なにかを信じるってなんだろう。

宗教や信仰。ロックンロールやマザーテレサ

もちろんもっと漠然としたものも。

それは夢や希望に繋がっているから、なにかを信じていかないと生きてはいけない気がする。

ただ、目が眩むほどなにかを信じてバランスを崩す人もいる。

だけど信じることでバランスがとれる人もいる。

なにかを信じることで自分を育ていく。

 

 

インドを旅した時。人から信仰を訪ねられるたびに、無宗教だと答えると、「それじゃあなんのために生きてるの?」と驚かれた。

宗教や信仰はないけど、なにも信じていないわけではないんだ。

見ず知らずのあなたの言うことも信じたいと思うしね。

 

自分の信じものを守りながら暮らしていく、それと同等に大事なのが、他人が信じているものも大切にしていきたい。

 

 

 

 

この前久しぶりに電車に乗った。

新鮮で楽しいものだ。

山手線の帰宅ラッシュ。

車内にたくさんの人が、ほとんどがみんなが一人で乗っている。

何ヶ月と電車に乗ってないおれにはシュールな光景なんだ。

ぎゅうぎゅうなのに大人たちがみんな静かーに詰まってる。

なんとなく老若男女いるけど、あたり前なんだろうけどみんな日本人で。

同じ民族で同じ街に暮らしている人たち。

同じ駅で降りる人や乗り込んでくる人。

電車って狭い空間だと、なぜかなんとなく仲間意識みたいなものを感じた。

こんな小さな街にものすごくたくさんの人が暮らしてる東京。

人が多いとなにかとストレスやトラブルが多い。

東京はチームワークの街だと感じる。

 

忌野清志郎の「愛しあってるか〜い」が聞こえてこない?

 

 

 

 

 

その道はカトマンドゥまで続く

 

 

Honey,  the road will even end in Kathmandu

その道はカトマンドゥまで続いているかもしれない。

ジャニスの歌うこのフレーズをなぜかふと思い出した。

 

Kathmandu

なんて未知なる響きだろう。

昔のヒッピーは、ヨーロッパからオンボロバスでユーラシア大陸を横断してカトマンドゥを目指したのだ。

 

カトマンドゥは半世紀以上前に時代が止まってしまっているみたいな煤けた都市だった。

寂れているわけではなくて、ただ現役で、煤けたような色をしているのだ。

 

そうそう、ミャンマーヤンゴンもそんなタッチがある都市だったなあ。

今は軍事クーデターで外国人だ立ち寄る隙はないけど、それ以前はミャンマーを目指す旅人がじわじわと増えていた。

 

旅に取り憑かれてしまった人が目指す先にはそんな街のフィーリングがあるような気がする。

 

 

 

気がついたらもろに寒くなったなあ。

みんなどんな感じ?

 

おれは今日はなんとなく風邪気味っぽい。

仕事を取りやめていつものベローチェだ。

 

ベティライトを聴いている。

リズムアンドブルース、ソウルミュージックはこの季節の季語だと思う。

 

そう、この前リッケンバッカーエレキギターを買った。

物を増やしたくないおれとしてはかなり突飛な行為だと思う。

それでも買おうと思えるギターはリッケンバッカーくらいだ。

 

リッケンバッカーにはちょっとした思い出がある。

音楽が大好きで、この15年ほとんど毎日ギターを触っているおれだけど、アイテムとしてのギターへの興味はあまりない。

色々なギターが欲しくなる、というよりギターを弾くという行為が欲しいだけで、適当なギターが1本あればそれでいい、と思う。

 

ただリッケンバッカーは昔から唯一、意識し続けてきたギターだ。

昔、リッケンバッカーを1本買ったんだけど、それから間もなく食べるお金に困って意外にもあっさり売っぱらってしまったのだ。

はした金にしかならなかったと思う。

 

それからはなんとなく薄っすらとした未練があって、

コロナで旅にも出られないし、あの頃よりは少しお金がある今、

中古だけど、あの頃のものよりも1ランク上のリッケンバッカーを勢いで買い戻したのだ。

 

もういよいよこれ以上は要らないだろう、と今は思ってる。

荷物が増えると腰が重くなるから。

 

 

ちょっとずつ国境が開いてきたね。

タイにもついに外国人の旅人が戻ってきたみたいだし、カンボジアの陸路も再開したみたい。

もちろん状況がどう変わるかわからないけど、今ならバンコクなら夜9時まではバーでお酒が飲めて、アランヤプラテートのボーダーからシェムリアップアンコールワットを見る、みたいな旅ならできるのかも。

 

日本での隔離とか、もうすこし現地の規制もなくなればもうすこし気軽に旅ができるかも。

それでおれも、ラオスの国境が開いたらラオスからイサーンの旅に出よう。

 

まさか2年間も日本に閉じこめられるとは。

ちょっとした拷問か。

 

 

日本、東京は安心安全ってところでとても信頼できるし、ぼけーっと生きていられる。

これは一番基本的なことだけど、なかなかそんな環境を作るのは難しいと思う。

街中で女の子までが酔い潰れて寝たりしている、東京ならではの景色が徐々に戻ってきてる。

 

東京にいると繁華街でもスマートフォンを無防備に持つし、値段交渉もしないし、お釣りもいちいち確かめたりしない。

とにかく危機管理といったら、プラットホームから落っこちない、とか赤信号をむやみに渡らないとかくらいかな。

 

ただ、安心安全に走り過ぎていて、街に遊びがないような流れになっていく。

みんなあんまり外でわいわいやって元気一杯になられるよりは、家でゲームとかさせておけばそりゃ国としても扱いやすいよなあ。

 

馬鹿みたいな人がどんどん減っているように感じるし、そりゃあロックンロールも昔みたいには流行らないよね。

そのうち酒もじわじわ規制してきたり、流行らなくなっていくかもなあ。

すでにアルコール度数の強い缶チューハイが主流になっている時点で、お酒はどこで、だれと、なにを飲むというよりも、家で手っ取り早く酔っぱらうための道具チックになっている気がする。

 

まあ悲観していられるほど人の寿命も長くないし、その環境でどう楽しむかとか、違う環境に身を置くか考える。

とにかく正しさより楽しさ、ということか。

 

 

 

 

 

 

 

9月も終わる。どんな感じ?

 

 

中洲の夜は那珂川の緩やかな流れとともに、たらたらと流れて行った。

今回国境を超えていないものの、例によって日常ボケになっている。

仕事が甚だ暇すぎるせいもあるんか、いよいよ東京がニュートラルプレイスという位置づけになってきてしまっている。

福岡のうどんよりコシのない街だ。

 

 

 

Danceing In The Darkを聴いている。

あからさまではない都市の匂いがする。

向こうの川はどんな色をしてるんだろう。

 

川のある街には、とても大きな余裕があると思う。

それが隅田川でもチャオプラヤー川でもガンジス川でも。

うちの近所には水がないし、中途半端な都会。

憩う場所に飢えているおれは、池袋のガードレールにもたれていることが多い。

例えば処がポカラならフェワレイクがあるし、中州なら那珂川になる。

那珂川のガートはおれの飲み屋になっていた。

缶ビールと安ギター。

ネオンライトとどこかのスナックから聞こえてくる下手な歌。

 

どうだろう。そんななんにもないことが、なんでもあるより豊かに感じてくる。

 

 

 

東京に戻ってきて、また決まりのカフェに来ている。

きちきちにCDが入ったタワーレコードの袋を持ったお兄さんが入ってきた。

あのロゴも最近見なくなったよなあ。

どうやら音楽も言葉も媒体がなくなっているんだろうな。

おれの遊び場はレコード屋と本屋。

未だに音楽を聴くと、このレコードはいつかの夏に探し回って高田馬場のレコーズハリーで見つけたんだよな、とかこの本は昔、新宿のあの喫茶店で読んだ、とか今でもよく覚えてるものだ。

 

とはいえスマートフォン一つでどこでも好きなものに手を出せるという身近さは素敵なことだと思う。

アートにしてもなんにしても、歴史ができていって古くても新しくても、どんなに遠くの国のものだろうが、そこに壁をなくフラットにピントを合わせられる時代になっている。

レッドベリーからあいみょんまで全部同じ棚に収まっている。今の時代の面白さ。

 

例えばタイ、バンコクの音楽好きなんかは、日本のAORとかをよく知っていて、山下達郎はもちろん吉田美奈子とか南佳孝とかを普通の感覚でクールな音楽として聴いていたりするらしく、とても今らしくて面白い。

ムーブメントよりも、いいものはいい、という個のありかたが尊重される時代みたい。

 

 

 

チャーリーワッツが死んだ。

心臓を失ったローリングストーンズはどうなっているのかはわからないけど、久しぶりのツアーに出ているというニュースをみた。

チャーリーがいないストーンズストーンズなのか、答えは人それぞれだろうけど、とにかくストーンズは今日もどこかでやっている。

それがどんなに尊いことだろう。

80歳。はたからすれば寿命という言葉で違和感なく処理されるのかもしれないけど、ストーンズが死ぬなんてことは想像がつかないことだった。

おれはストーンズを生で1回だけ観たけど、とにかくチャーリーは、ストーンズで唯一のまとも、というイメージとは裏腹にバッシバシだし、クレイジーなドラマーだった。

とにかくあのじじいのビートで、世界中の若者が踊るんだから、それが最高以外の何物でもないってことだろう。

 

 

 

少しずつまた世界が開き始めてきたか。

おれの好きなインドやタイにも日本から簡単に入国できるようになってきている。

入国したところで現地の町がどうかってのはある。

 

タイからは相変わらず、仕事もほとんどなくなってどんどん子供が痩せてるわって報告もくるし、

ミャンマーからは悲痛の声が聞こえてくる。

当たり前だけどそこらで遊んでた数年前には想像もしてなかったことばかり。

 

ヤンゴンダウンタウンで国軍が住民をしばき回っているし、

あのスクンビットシャッター街だとか。

ただ、彼らのバイタリティを信じている。

 

 

 

ファイザー社のワクチンよりも今は、八方破れの歌が欲しい。

ヘイミスタータンブリンマン、歌ってくれよ、てな感じだ。

ディランは元気にしてんのかなあ。

 

 

 

 

7月だ。

梅雨真っ只中だけど今月に入ったあたりからか、どこか夏のフィーリングが混じってきた。

 

 

なんだかんだで7年働いたバーを卒業した。

それは特に明確な理由はなくて、なんとなくやり切った、というような類いの感覚だ。

荷物を一つ下ろして身軽になったんだ。

 

 

なにかと悩ましいこともありながらも、わりと飄々とこなしたように思う。

何処かで仕事していればずっとついて回るだろうけど、

ひとまずここからは、一緒に居たくない人とは無理に会わなくてもいいし、

これからも会いたい人とはよりシンプルな関係で会えたりするようになるんだろう。

小さな店でありながらも入れ替わりが激しかったりもして7年間、きっと40、50人とかのひとたちと働いたと思う。

ただのバイトでありながらも、その多くの人のほとんどとは 先輩 という立場として見られてきた。

とにかく最後まであまり慣れない立場だ。

何事も人が違えば、当たり前になにもかもが違っていて、

付き合っていくうちに、いい距離感を自然に見つけていって、ちょうど仲良くやれる人もいれば、こっちの気持ちをどう伝えても、ミットを構えてさえくれない人たちも結構いて、まあ自分の人間としての技量を思い知らされたという感じか。

 

飲み屋で、同じ店で働くということで、

7年間夜の中野を、中野の人たちを見続けてきた。

その数年間でも東京も変わり、人も変わっていくのを体感していられたのは面白い社会勉強だった。

結局、景気がどうだとか興味のないおれには、酒飲みの人たちの顔色や雰囲気で、社会を感覚的に見るというのが一番わかりやすい。

 

 

今年の夏は、なんでかいつもより気分じゃないというか、基本夏好きのおれとしてはあまり気分が乗っていない方だ。

まあ爽やかなAOR、Ned Dohenyでも聴きながらなんとなくやろう。

 

 

 

 

 

 

 

ガンバレって言ってやる

 

 

なにかに打ちひしがれそうな夜にも

このままどこか逃げてしまいたい朝にも

おれにはブルーハーツがいた。

 

ヒロトはクソッタレのおれのために

"終わらない歌" を歌ってくれる。

どんな時でもデッカい声で"ガンバレ"って言ってくれる。

子供の時から、今だってそうだよ。

おれにはブルーハーツがいた。

 

 

心にブルーハーツがいない人

ブルーハーツじゃなくても、おれにとってはブルーハーツだ。

そんな、ガンバレって言ってもらえない人たちも何処かにいるだろうか。

もしかしたらおれの周りにもいるだろうか。

 

 

何かに押しつぶされそうな人

今にも爆発しそうな思いをかかえている人

なにもかもに冷たくされてひとりぼっちな人

 

少なくともロックンロールはそういう人に歌っている。

そして、おれも目の前の人の、あなたのブルーハーツでありたいと思ってる。

それは、歌を歌うとかバンドをやるとかそういうだけじゃないんだ。

ロックンロールは音楽ジャンルじゃない。

生き方なんだ。

 

だからおれは世界中の親愛なるひとりぼっちたちにガンバレって言ってやる。

聞こえるか、ガンバレ!!!

 

 

 

 

4時 夜

CHICAGOのブラスが聴こえてきそうだ

異常な春に、こんな風は似合わないし

だけど、それも異常のうちだろう

 

青い煙に、退屈なネルシャツ

Sukhumvitから豊島区要町

ハーフパイント弱のシリアス

安っぽい映画でみたような川沿いの街

 

こんな夜だ

生温い風と誰かのクラクションが

湿気ったビルの陰まで押し寄せると、

まるで自分が、沢木耕太郎にでも

なったかのような気持ちになる

 

コカコーラの缶を灰皿にして

寝転がったまま、欲望みたいな煙を

天井に塗り込める

チープなスリルと煙草の空箱が

なんとかバランスを取ってる

 

砂埃のバスとJoni MitchellのBlue

どこか遠くに行ったような気になって

山手通り ナグチャンパの匂い

大きな夜が白んでる

少しずつ、もう少しずつ

 

 

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