2月22日
ここ何日か季節外れに暖かい。
年中こんな気候だったらいいのになとか思いながら、やっぱりうんざりするくらい暑かったり寒かったりしたりする日もあった方がいいのかもしれないとも思う。
今年の冬は長かった。
だいたいここ最近の真冬は、東京の寒さから逃げるように東南アジアあたりへ旅に出ていた。
まあ去年の今頃のネパール、ヒマラヤのあたりはだいぶ寒かったけど。
最後の旅からもう1年も東京に閉じ込められいる。まだしばらくこんなだろう。
おれの遊び場、東南アジアもこんな状況でどんどん街の景色も変わっていっているみたい。
ただ、日本よりも保障されていない今の状況で、貪欲に楽しげに暮らしている人たちの話を聞くと頭の下がる思いだ。
とにかくみんなご飯はしっかり食べれて、なんとなくでも幸せな気持ちで過ごしてほしいと思う。
ジャニスを聴いている。ジョプリンの方だ。
椎名林檎以外のほとんどの人はジャニスといったらジャニスジョプリンだと思う。
ジャニスが歌うブルースは裸の魂そのままみたいなパワーだ。
こんなに1曲に命をかけて歌う人が他にいるんだろうか。
それと最近はエタジェイムスをよく聴いてる。
彼女はチェスレコードで、あまりにもイカれたブルースを歌う姉さんだ。
ジャニスもきっとエタジェイムスに死ぬほど憧れたんだろうと思う。
エタジェイムスやレイチャールズを聴いていると、こんな風に歌えたら、と誰もが思うと思ってる。
エタもそうだけど、ゴスペル仕込みのパワフルなブルースを歌う女性に凝っている。
エタにビッグママ、それにシスターロゼッタサープ。
とにかくぶっ飛んでいて最高だ。
あとはチャイを飲むのにハマっている。
池袋には気軽にチャイを飲めるような所がない。東京でチャイを出す店はだいたいイキった今時のカフェとかだ。
家からすぐの所に洒落たティーショップが、いつの間にかできていたんだけど、
マサラチャイが1杯600円とかするんだ。
チャイを日常的に飲みたいので、その額は出せない。
北インドでの生活でちょっとした時間にすることといえばチャイを飲むことだった。
道端には屋台でチャイを煮ているおっさんがたくさんいて、その周りにみんなで集まってマサラの効いたチャイを飲んでいた。
おれが行った頃はだいたい1杯5ルピーか、高くても10ルピーくらいで飲めた。5ルピーというと8円くらいだっただろうか。
それにちょっとしたお菓子やバラ売りの煙草なんかを一緒に売っていて、チャイと一緒にやる。
インド、あとはネパールに行った時もそうだけど、朝起きたらチャイ、ご飯の後やちょっとした休憩と毎日何杯かはチャイを飲む。
カリーを毎日食べたいとは思わないけど、チャイは毎日飲みたい。
もちろんコーヒーも必須なんだけど、コーヒーは毎日カフェに行って飲んでいるので、
アッサムの茶葉とティーマサラを買って家では毎日さっとチャイを淹れて飲んでいる。
毎日のチャイがあるだけで、なんとなく豊かな気持ちで生活をしている。
街はだいぶ人出も増えてきているけど、みんな閉鎖的で、精神的にも他人との距離ができたように感じる。
密を避けることが無意識に習慣みたいになっているだろうし、これからはそのスタイルで世の中が営まれていく気がして、とても寂しい。
ただでさえ最近そーっと生きてる人が増えていくようで窮屈だ。
アートも娯楽もそーっとしたものばっかりになって楽しいことや幸せの規模みたいなものも小さくなってきてるような感じ。
みんなが「仕事は辛いけど、週末にデパ地下のケーキ食べるのが幸せ!」みたいなオカマみたいな価値観になっていったら、そりゃめちゃめちゃホットな遊び場も、繁華街もロックンロールとかも要らないだろう。
そうやって街で遊ぶ人が減ると余計に街に面白い場所が減る。
デパートはAmazonとかゾゾタウンになるし、酒は家で飲むし、休みの日は家でゲームとかネットフリックスみたいになる。
たしかに、こんな所で飲みたいみたいなイカした飲み屋もなければ、その後の遊びもカラオケとかくらいだし、今の東京には日常に求めるような楽しいものがない。
みんなはどんな感じでしょうか?
駅前にいつでも縁日みたいのあったりしたらそれだけでなんとなく楽しげだったりしないかな。
新しいギターアンプを買った。
つい買ってしまった理由は家具みたいなデザインと色々なことがワイヤレスになるという点だ。
アンプ自体も充電ができてどこでも使える。
ギターのシールドもワイヤレス、それにBluetoothで音楽が流せるコンポにもなる。
こいつのおかげで家での音楽生活がカジュアルになった。
エレクトリックな楽器や音楽を日常に取り入れていると、一番面倒なのがそういう、線の類。
なくていいものはできるだけ省いていきたい。
できるだけ物は持ちたくない。
もともとあまり物は好きじゃないけど、旅を日常にしていこうというマインドになってから、より荷物は少なくしたいと思うようになった。
極端に言えば、1本のギターといくつかの気に入った服があれば充分だし、急にどこか遠くに行くことの足かせにならない。
物ではなくて、場所や体験で遊ぶのが好きだ。
今ミャンマーが大変な時期を迎えている。
SNSでミャンマー人の友達がミャンマーの状況を細かくシェアしてくれている。
ミャンマーには3年くらい前に1度だけ行った。
ミャンマーの人たちは奥ゆかしく、とにかく笑顔で親切にしてくれた人が多かった印象。
そんな国民たちが、毎日のように通りを埋め尽くすくらいのデモ行進をして、アウンサンスーチーさんたちの解放を強く訴えている。
おれが遊んでいた、最大都市ヤンゴンのダウンタウンなんかは特に規模が大きいみたい。
道を通る軍の装甲車に向かってたくさんのベランダに出て鍋を叩いて訴える。
それを軍人が平気で銃で撃つ。捕まえてリンチする。
毎日のようにそんなことで怪我人が出る、何日か前ついに頭を撃たれた若者が亡くなった。
どんなにやられても彼らは決して武力は使わずに、非暴力で大きな敵に立ち向かっている。
非暴力はスーチーさんの根底にある精神だ。
あたりまえの日常を勝ち取るという感覚は、平成の東京で生まれ育ったおれには到底想像のつかない感覚。
とにかく1日でも早くミャンマーの人たちが豊かな気持ちで暮らしていける日がくることを祈ってる。