9月も終わる。どんな感じ?
中洲の夜は那珂川の緩やかな流れとともに、たらたらと流れて行った。
今回国境を超えていないものの、例によって日常ボケになっている。
仕事が甚だ暇すぎるせいもあるんか、いよいよ東京がニュートラルプレイスという位置づけになってきてしまっている。
福岡のうどんよりコシのない街だ。
Danceing In The Darkを聴いている。
あからさまではない都市の匂いがする。
向こうの川はどんな色をしてるんだろう。
川のある街には、とても大きな余裕があると思う。
うちの近所には水がないし、中途半端な都会。
憩う場所に飢えているおれは、池袋のガードレールにもたれていることが多い。
例えば処がポカラならフェワレイクがあるし、中州なら那珂川になる。
那珂川のガートはおれの飲み屋になっていた。
缶ビールと安ギター。
ネオンライトとどこかのスナックから聞こえてくる下手な歌。
どうだろう。そんななんにもないことが、なんでもあるより豊かに感じてくる。
東京に戻ってきて、また決まりのカフェに来ている。
きちきちにCDが入ったタワーレコードの袋を持ったお兄さんが入ってきた。
あのロゴも最近見なくなったよなあ。
どうやら音楽も言葉も媒体がなくなっているんだろうな。
おれの遊び場はレコード屋と本屋。
未だに音楽を聴くと、このレコードはいつかの夏に探し回って高田馬場のレコーズハリーで見つけたんだよな、とかこの本は昔、新宿のあの喫茶店で読んだ、とか今でもよく覚えてるものだ。
とはいえスマートフォン一つでどこでも好きなものに手を出せるという身近さは素敵なことだと思う。
アートにしてもなんにしても、歴史ができていって古くても新しくても、どんなに遠くの国のものだろうが、そこに壁をなくフラットにピントを合わせられる時代になっている。
レッドベリーからあいみょんまで全部同じ棚に収まっている。今の時代の面白さ。
例えばタイ、バンコクの音楽好きなんかは、日本のAORとかをよく知っていて、山下達郎はもちろん吉田美奈子とか南佳孝とかを普通の感覚でクールな音楽として聴いていたりするらしく、とても今らしくて面白い。
ムーブメントよりも、いいものはいい、という個のありかたが尊重される時代みたい。
チャーリーワッツが死んだ。
心臓を失ったローリングストーンズはどうなっているのかはわからないけど、久しぶりのツアーに出ているというニュースをみた。
チャーリーがいないストーンズはストーンズなのか、答えは人それぞれだろうけど、とにかくストーンズは今日もどこかでやっている。
それがどんなに尊いことだろう。
80歳。はたからすれば寿命という言葉で違和感なく処理されるのかもしれないけど、ストーンズが死ぬなんてことは想像がつかないことだった。
おれはストーンズを生で1回だけ観たけど、とにかくチャーリーは、ストーンズで唯一のまとも、というイメージとは裏腹にバッシバシだし、クレイジーなドラマーだった。
とにかくあのじじいのビートで、世界中の若者が踊るんだから、それが最高以外の何物でもないってことだろう。
少しずつまた世界が開き始めてきたか。
おれの好きなインドやタイにも日本から簡単に入国できるようになってきている。
入国したところで現地の町がどうかってのはある。
タイからは相変わらず、仕事もほとんどなくなってどんどん子供が痩せてるわって報告もくるし、
ミャンマーからは悲痛の声が聞こえてくる。
当たり前だけどそこらで遊んでた数年前には想像もしてなかったことばかり。
ただ、彼らのバイタリティを信じている。
ファイザー社のワクチンよりも今は、八方破れの歌が欲しい。
ヘイミスタータンブリンマン、歌ってくれよ、てな感じだ。
ディランは元気にしてんのかなあ。