3月。街の匂いが春のそれになってきた。まだ夜は少し寒いけど。
学校を出てから気がついたらずっと夜型なおれだ。
夜中、午前中の時間は宇宙だ。
部屋でぼーっと考えごとをしたり音楽を聴いたりするのも、深夜の街を自転車で駆け抜けるのも。
夜中は心の解放区、という感じで雑念なく、とにかくたくさんのことを敏感に感じる。
もちろん昼間にもあるんだけど、ロックとかを聴いているおれみたいなやつには夜中の時間こそが世の中とのバランスを取るのに必要な時間なのだ。
一時、午前中に起きて夜は12時すぎには寝るような昼間の生活をしたりもした。
そうすると自然と聴く音楽も変わった。
ロックは夜の音楽が多い。
極端に言えば、空が白んでくる手前くらいに聴くトムウェイツや、静まりかえった夜の暗い部屋で聴くキャプテンビーフハート。
そんなものを真っ昼間の電車の中で聴いたってしょうがない。
夜、酒が入ってくると、ローリングストーンズやリズムアンドブルースがいつもの80倍は最高になる。
これは子供の頃から聴いていたけど、本当にのめり込むようになったのは高校生くらいになってちゃんと酒の美味しさがわかってからだったと思う。
何年か前まで、友達と毎晩のように朝まで美味い酒を飲みながらブルースなんかを聴いていたものだ。
酒飲みには酒飲みの音楽の聴き方がある。
ロックに酒と夜中が合わさると、どろっとした空間が体にまとわりつくのだ。
最近は近くに酒飲みな友達がほとんどいないので、そんな夜も少なくなった。
ただ、ずっとそんな酒飲みの環境で育ってきたので、酒を嗜むくらいにして食事をする、とかに新鮮で面白いという気持ちもたまにはある。
この前、久しぶりの友達の就職祝いに、ご飯を食べに行った。
酒を飲まないご飯なんていつ振りだろう。
おれのことを Anh(兄)と慕ってくれているベトナム人の女の子だ。
今年で25歳とかになるんだけど、彼女が日本に来てまだ間もない19歳くらいの時から知っている。
ほとんど日本語での会話が通じないようなところから、メキメキと話せるようになっていった彼女は、学校とバイトをがむしゃらに頑張って、ついに就職が決まったのだ。
就職が決まったら、美味しいものをたらふくご馳走する、という約束をついに果たせたのだ。
今月から大阪で働くから、なかなか会えなくなってしまう。
それでも、とにかくは一安心。
楽しげなシーフードレストランとちょっとしたプレゼントに、とにかく予想以上に喜んでくれた。
日本語も上達して、歳も経験も重ねてけっこうしっかりとしてきたと思っていたけど、子供みたいにはしゃぐのは変わってねえなあ。よかったよかった。
佐野元春を聴いている。
乾いた都市の匂いがする。
基本的にはロックンロールにおいて歌詞は大したことじゃない、と思いながらも日本語の歌ともなるとキャッチしてしまうものがある。
もちろん日本語でも何を歌ってるんだかまったく入ってこないものも多いけど。
佐野元春や辻仁成、尾崎なんかもバリバリにそうだけどビートジェネレーションの缶詰なのだ。
言葉でロックする、という感覚の音楽。
中原中也や月に吠える、の萩原朔太郎みたいなロックンロールがなかった頃の詩人たちがまさにそれだ。
ビートには旅のフィーリングがある。
それが物理的にどこかに行く旅じゃなくても、心の旅。チューリップみたいになっちゃったけど。
そんな感覚をおれに教えてくれたのは10代の頃にさらわれるように傾倒していた、佐野元春や辻仁成、それにビート文学だったと思う。
だいぶ薄れてきてしまったみたいだけど、今でもまだ東京にはそんなフィーリングがある。
真夜中の都市。ネオンライト。クラクション。
佐野元春。あえて一番の名曲を。まるでスプリングスティーン。