馬鹿は不幸が好きなんだ

 

みんな言ってもどうにもならない事ばかりグチグチと言ってる。

おれはあまりくよくよするのが好きじゃない、というかできないタイプなので、あまりにもくよくよした事ばかり言っているやつが多いのが不思議だ。

くよくよするのは無駄だ、とは思わない。

むしろ大事だとおもうんだけど。引きずってしまうのは良くない。

おれはくよくよするのは一瞬。そのかわりその時間は思っ切りくよくよするようにしてる。

 

くよくよした事ばかり言っているひとは周りにも結構いるのだが、だいたいグチというレベルを通りすぎるとそのネガティブが体内に充満しているのか、ネガティブな出来事を吸い寄せているように見える。

そして、そういう人が口にするくよくよはだいたい、疲れた、もう嫌だ的な、だから?と言いたくなる系か、

でもこうなるかもしれない、とかやってもない事の失敗ばっかり想像して悩んでいる。

グチグチグチグチ言いながらバキバキに仕事したりしている人は好きだ。

エネルギーの違いか。明日に向かっているパワーか。おれが子供の頃に出会ったパンクロックみたいに。

だいたい無意識のうちにネガティブなことを言ってるようなやつからはエネルギーなんか感じないし、どこかくよくよした事を言っていたい、という所があるような気がする。

不幸な自分かわいそうでしょ、なのかなんなのか。

暇つぶしにはいいかもしれないが、おれにはくよくよしてる時間もそれに付き合わされる時間もない。

 

 

馬鹿野郎がついてまわる

 

ブルーハーツの名曲に1000のバイオリンという曲がある。

その中に  "揺りかごから墓場まで 馬鹿野郎がついてまわる" という節がある。

中学生の頃から散々聴いたこのフレーズに

ある日突然ピンときた。

たぶん19か20くらいの時だったと思う。

高校を出ていわゆる 社会  に出た頃。

何をするのにも何かが邪魔で何もする気が起きなくてロックンロールを聴きながら毎日街をほつき歩いてた。

「ほんと世の中、馬鹿野郎ばっかりじゃねえか」

馬鹿野郎の人並みを縫って生活しているような感覚だ。

それから5年、6年。相変わらず世の中意外と馬鹿野郎が多い。

同世代の馬鹿野郎とはこの先ずーっと仲良く歳をとっていかなけりゃならない。

これがマーシーが感じていた苛立ちを、自分なりに身にしみてる。

順調にいけばこれから半世紀くらい、仕事場から付き合い、老人ホームの相部屋からまさしく墓場まで馬鹿野郎がついてまわる。

まだ長いこれから先、はやく馬鹿野郎との付き合い方をベンキョウしておいた方がよさそうだ。

値段と味

 

"高いものは美味い "

というセオリーにこちら側が帳尻を合わせ、「やっぱり高いだけあって美味しかった」

ということにしてしまうような事がある。

結局味覚なんかは雰囲気や値段に左右されてしまうようなガバガバなもんなのだ。

不味いものは平等に不味いでいいじゃん。

 

酒は良い例だ。市販の同じウイスキーなんかでも飲む店によっては1ショットが安い店のボトルと同じくらいの値段になるだろう。

それはその店の環境、雰囲気、グラスや提供の仕方である種 騙す  ようなところがある。

全く同じもの(ロックや割りものであれば氷、やソーダで味は変わるが)を出すんでも、美味い店と不味い店が存在する。

 

最近友達と飲むと2〜3件で 200円バー という店によく行く。

おびただしい種類のカクテルがすべて200円で飲める。

内装はまあ少しカジュアルなバーで、見ていると材料の酒も、バーテンダーの技術もそんなに悪くない、カクテルもしっかりつくられている。

普段飲む事の無いようなカクテルを値段を気にせず次から次に頼めるのでなんとなく楽しいが、なにかが足りない。

酒のランクも、レシピも申し分ないんだけど、きっといつものように背伸びをして飲む、というフィジカル面での違いだろう。

少し後ろめたさを持って飲むと美味い。

許されてしまうと冷める。

おれはヤクルト好きだった子供の頃、始めて500mlのピルクルを飲んだ時のがっかり感を思い出した。

やっぱり 高いものは美味い というセオリーは味覚をねじ曲げつつ、できる限り守っていこうと思った。

音楽は耳だけで聴くものじゃない

 

 

好きな音楽は?

と人から聞かれることがよくある。

音楽は?という質問であれば、ロックンロールとか、リズム&ブルース等と言っておけるのだが、

好きなバンドは?というパターンがある

これには困っている。

だってたくさんありすぎるし、その日によって違うのだ。

まあまず同世代とかに聞かれることが多く、そんな若者の軽い質問に、ブッカーT&MG'sだのバターフィールドブルースバンドだのアニマルズだの言っても白けてしまうだろう。(今日はこのあたり聴いてた)

同世代からの音楽トークはとても面倒くさいけど、例えロックオタクのおっさんとの話でも好きなバンドなんてなかなかぱっと出ない。

シチュエーションがだいぶ左右してくる。

例えば夏はスカ、トゥーツ&メイタルズにスペシャルズ、深夜の散歩はトムウェイツや佐野元春。ドライブにはユーミンや70年代くらいのストーンズ。寝る前の静かな時間にはジョニミッチェルが聴きたい。

そのシチュエーションに聴くといつもそれが1番 になってしまうのだ。

茶店のバイトの女の子ってみんな可愛く見えるみたいな。(だいぶ違うか)

そのシチュエーションがライブともなってくるともうなんでもかんでも最高になってしまう。

これだからフェスは儲かるんだと思う。

横浜のビーチで見た加山雄三は最高だった。

名前も知らないアーティストでも最高になっちゃって帰りにツタヤでCDを借りて部屋で聴いてみると全然退屈、とかよくある。

音楽は耳だけで聴くものじゃないということだ。

これからもう少し寒くなって、秋の終わりから冬にかけてスイートソウルミュージックが旬。格別だ。

ということでシュープリームスの甘い名曲を貼っておく。

 

Diana Ross&Supremes / Where Did Our Love Go 

 

https://youtu.be/qTBmgAOO0Nw

男のかっこよさ

 

アメリカのロックバンドに The Band というバンドがいる。

1960年代の終わり頃に出てきたバンドだ。

"アメリカンロックの最高峰" なんて言われたりしている。

おれはザ・バンドが大好きだ。

核である部分以外を削ぎ落としている彼らのスタイルからは男のセクシーさを感じる。

時代はサイケデリックサウンド全盛。

楽器も多ければ音も多い。(そんなのはそんなので好きだけど)

その上だいたいバンド名も長い。ジェファーソンエアプレーン、クイックシルバーメッセンジャーサーヴィス、ヴェルヴェットアンダーグラウンド、どれも長ったらしい。(全部カッコいいし最高)

そんな中に ザ・バンドだ。

バンド名からのイメージまでも排除されていて、むしろ、もう少しちゃんと考えたら?と言いたいくらいのそのバンドのサウンドはまさに間を楽しむ音楽だ。

楽器も最低限、バスドラムの弛みがしっかりと聴こえるくらいの音の薄さは男臭くてたまらない。引き算の音楽だ。

外側から減らしていくのは度胸がいるし、おれは身を削いでいく男らしさみたいなものには断然弱いということだ。

 

例えば男はつらいよの寅さんだってカバン1つでフラフラとしてるからかっこいいんであって、毎回旅に出る度に、「兄ちゃん旅に出るよ、荷物は明日クロネコヤマトが取りに来る。」なんて言われたらさくらも泣くに泣けないだろう。

身一つで生きている。という男のセクシーさだろう。

女は多少着ているくらいが一番セクシーだけど(当社調べ)、男は脱ぎ捨てれば捨てるだけセクシーだと思う(精神的にね)。

引ける男はかっこいい。

 

飲み屋でちょっと頭の弱そうな女が「結局男は白Tにジーパンが似合うかどうかだよねぇぇ」と言っていたのを思い出した。

 

 

 

頭の中を、世良公則&ツイストの宿無しが回ってる。

時刻は深夜1時を過ぎた、これからがおれの時間だ。

夏が行って秋がきた。最近は街的な仕事、ウーバーイーツで健康的に日銭を稼いでる。

今月の終わりから飲み屋の仕事が忙しくなるからそれまで。

そして来月は友達に会いに韓国、ソウルに行く。いつものことだけど、その後のことはなにもわからない。

そろそろもう少しやりたいようにお金を稼ぐことを考えていきたい。

 

ミャンマーのこと

 

旅から帰った。

ミャンマーヤンゴンからバガンマンダレーとバスで回ってヤンゴンに戻ってバンコクに飛んで4日くらい遊んで帰ってきた。

バンコクでは去年の貧乏旅行とは打って変わってカオサンもスルー。

バンコクのど真ん中エリア、スクンビットにわりと奮発してホテルに泊まった。

昼間は買い物、夜はゴーゴーバーで酒を飲む、みたいなわりとベタなバンコクを楽しんだ。

結局街っ子なので都市が好きだ。

バンコクは東京よりも街にエネルギーがあって明るい。それに電車もコンビニもスーパーもたくさんあって東京に暮らすのと水準はあまり変わらない。軽い気持ちで移住しちゃいたい感じ。とくにスクンビットエリアなんかにいるとおれの地元池袋よりも充実してるんじゃないかと思う。まあわりと物価は高くてパブでビール頼むと余裕で300円くらいはしちゃう。

まあミャンマーでわりとキビキビと旅をしたおれにはちょうどいいご褒美だった。

今回は特に沈没もしないでよく移動した。

 

ヤンゴン。煤けた都会で、街の真ん中のパゴダがとても神聖だった。街の真ん中にはインド人街と中国人街があって、食に関しても文化的にもインド系、東南アジア系、中国、という隣国の影響が混ざり合いながら、ミャンマーそのものの文化、風土が溶け合った混沌とした都会だった。屋台通りでビールを飲んだり、ディスコに潜入して女の子にバリバリの日本語で接客されて少し萎えたりした。シュアダゴンパゴダはとても美しくすっきりとした気分だった。

 

バガンヤンゴンからバスで北に9時間半。田舎町に遺跡、仏塔がたくさん残された遺跡の町。すぐ近くのニャウンウーという村に泊まった。田舎なので村全体電波も不通ぎみで道路ま舗装されていないのどかな田舎。電車もバスもないから移動は基本バイクか馬車かトゥクトゥクをチャーターという感じ。宿で借りたバイクで遺跡群をひたすらドライブしてまさに、さーすらおーおー という感じ。カンボジアシェムリアップのアンコール遺跡、タイ、アユタヤのアユタヤ遺跡群を思い出した。雨期のミャンマーの中ではわりと晴れ間が多かった。

 

マンダレーバガンから北東にバスで5時間くらい。ヤンゴンに次いで第2の都市。街の真ん中には大きな鉄道駅とお堀に囲まれた旧王宮、日本の皇居みたいな感じ。第2の都市とはいっても生活感ばりばり。山なんかが近く日本の地方都市みたい。街はずれの丘の上には寺院があって裸足で1000段近い階段をひたすら歩いてのぼった。マンダレーラムとか有名みたい。バーベキュー料理屋が多く焼きそばを頼むとブタメンみたいな激細麺で意外と美味かった。

 

ミャンマー、全体的に観光客が少なく、安宿街や観光客向けのレストランなんかが全然無く、まだまだこれからって感じだ。物価は東南アジアでは平均的かちょっと安め。宿泊費、交通費はちょっと高めかな。アジアの中でも仏教が根付いていて、信仰がしっかりとしてる。タクシーが街のパゴダの横を通る時には必ずドライバーがお経を唱えてお祈りをしていた。

町中でも半分以上の人がロンジーという筒状の布を履いている。これがミャンマーの正装で若者もロンジーをみんな履いてる。

雨が降るとみんな傘を差すし、みんな顔にはタナカという日焼け止めを塗っていて、東南アジアの他の国より、文明と寄り添って暮らしてる感じがした。

外国人あんまりいないのにあまりみんな興味がないみたい。店の人や目があった人もだいたい怖いくらい真顔だけど話かけたりするとみんな急に笑顔になるし意外とおしゃべりだったりする。

みんな甘いものが好き。やっぱり子供たちがよく働く。

古き良きアジアみたいな雰囲気がとても残っているし生活感があってスレてない感じだけど、10年後がどんなことになってるか想像もつかない、まさにこれからの国。

10年もしたらホーチミンくらいのことにはなっちゃうかもしれない。