4月14日。春の雨が降っている。

T-REXを聴いている。マークボランのブギはなんとなくこんな季節。おれの中でT-REXは春の季語だ。

 

 

相変わらず、世界は凍りついたまま動かない。

旅をするにはもう少し(と思わないとやってられない)時間がかかるだろう。

 

おれのマイスイート東南アジアはどんな感じだろうか。

 

とにかくミャンマーはまだエグい。

純朴で敬虔な仏教徒である市民たちは、自由な生活を求めて、とてつもない大きな敵と非暴力を掲げて戦い続けている。

非暴力 は彼らが解放を求めているアウンサンスーチーさんの精神、それを遡れば今のインドの父、ガンジーの精神。

そんな非暴力のデモクラシーにミャンマーの国軍はとにかくパンパン撃ち殺すようなまねをしていて、

毎日たくさんの人たちが傷つけられて殺されている。

世界中で争いは絶えないけど、ミャンマーに関しては旅をした、という接点があって特に胸が痛い。

おれが遊んでいたようなヤンゴンの町で市民が軍に制圧されて死んでいったりしている映像が、在日ミャンマー人の友達を介して毎日、シェアされる。

おれが遊んでいた町、よくしてくれた人たち、みんなが当事者になっているんだろう。

 

ヤンゴンという町は近年、経済成長の始まりを告げるようにどんどん都市化してきた町で、古い建物と東京都心にありそうなビルが混在していて、町の真ん中には黄金のパゴダが輝いている、そんな町だ。

とにかく隣国と比べてもスレてないというか、人は奥ゆかしく穏やかで、とにかく敬虔な仏教徒たちだった。

 

今少し思い出しただけでも、タクシーで間違えて0の数の一つ多いお札を出してしまった時、すぐにそっちのお札でいいんだよと教えてくれて、ミャンマーのお金はわかりずらいから気をつけろよって勝手にチップだの請求することもされなかったし、

大きなパゴダでガイドを申し出てくれたおっさんも、1時間くらい付きっきりで丁寧に説明をしてくれて、チップをねだることもなかった。(そうゆう人にこそ積極的にチップを渡すけど)

おっさんは、「自分の国のことを知って欲しい。それだけだ。」とかっこよく去っていった。

こうゆう事は、東南アジアではとにかく珍しいことなんだ。

ゲストハウスに泊まってもたくさんの子供たちに至れり尽くせりしてもらったりした。

 

日本人からすると、とにかく親しみやすく、ホスピタリティ溢れる人たち、というイメージが強い。

そんな、おれの中ではブラザーと呼ぶべき人たちが苦しむ姿は見ていられない。

ミャンマーの人たちの幸せな生活が1日でも早く戻ってくることを祈ってる。

 

東京で生活に困らず生きてきたおれは、いままで全てWant to で生きてきた。

生活や国に安心できないような状況の人たちはみんなHave to なマインドだろう。

今のミャンマーの状況も戦いたい、じゃなくて戦い続けなければいけない、なんだろう。

 

生活、お金のためにHave to で生きている人もおれが思っているよりたくさんいるんだろう。

家族を養うために日本に来ている外国人たちもまさにそれだ。

しなければならない、という状況はどうしようもないことだろうけど、正直なところ、そういう人とは感覚が合わないことが多い。

その生きる上での自分に向かうアグレッシブなエネルギーが時に人に向かってしまうこともある。

 

インドを旅した時にも、どうしても経済的に余裕のある人の空気感に、日本人の空気感がダブってしまってどこかほっとしてしまったりしたのを覚えている。

 

普通の生活することにエネルギーを注いでいるひとを、クセが強いと感じてしまうおれはよっぽどダラっと生きてるんだろう。

とにかくどんな風にでも、生きてる人をリスペクトして暮らしていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月22日

ここ何日か季節外れに暖かい。

年中こんな気候だったらいいのになとか思いながら、やっぱりうんざりするくらい暑かったり寒かったりしたりする日もあった方がいいのかもしれないとも思う。

 

 

 

今年の冬は長かった。

だいたいここ最近の真冬は、東京の寒さから逃げるように東南アジアあたりへ旅に出ていた。

まあ去年の今頃のネパール、ヒマラヤのあたりはだいぶ寒かったけど。

最後の旅からもう1年も東京に閉じ込められいる。まだしばらくこんなだろう。

おれの遊び場、東南アジアもこんな状況でどんどん街の景色も変わっていっているみたい。

ただ、日本よりも保障されていない今の状況で、貪欲に楽しげに暮らしている人たちの話を聞くと頭の下がる思いだ。

とにかくみんなご飯はしっかり食べれて、なんとなくでも幸せな気持ちで過ごしてほしいと思う。

 

 

 

 

ジャニスを聴いている。ジョプリンの方だ。

椎名林檎以外のほとんどの人はジャニスといったらジャニスジョプリンだと思う。

ジャニスが歌うブルースは裸の魂そのままみたいなパワーだ。

こんなに1曲に命をかけて歌う人が他にいるんだろうか。

それと最近はエタジェイムスをよく聴いてる。

彼女はチェスレコードで、あまりにもイカれたブルースを歌う姉さんだ。

ジャニスもきっとエタジェイムスに死ぬほど憧れたんだろうと思う。

エタジェイムスやレイチャールズを聴いていると、こんな風に歌えたら、と誰もが思うと思ってる。

エタもそうだけど、ゴスペル仕込みのパワフルなブルースを歌う女性に凝っている。

エタにビッグママ、それにシスターロゼッタサープ。

とにかくぶっ飛んでいて最高だ。

 

 

 

 

 

あとはチャイを飲むのにハマっている。

池袋には気軽にチャイを飲めるような所がない。東京でチャイを出す店はだいたいイキった今時のカフェとかだ。

家からすぐの所に洒落たティーショップが、いつの間にかできていたんだけど、

マサラチャイが1杯600円とかするんだ。

チャイを日常的に飲みたいので、その額は出せない。

北インドでの生活でちょっとした時間にすることといえばチャイを飲むことだった。

道端には屋台でチャイを煮ているおっさんがたくさんいて、その周りにみんなで集まってマサラの効いたチャイを飲んでいた。

おれが行った頃はだいたい1杯5ルピーか、高くても10ルピーくらいで飲めた。5ルピーというと8円くらいだっただろうか。

それにちょっとしたお菓子やバラ売りの煙草なんかを一緒に売っていて、チャイと一緒にやる。

インド、あとはネパールに行った時もそうだけど、朝起きたらチャイ、ご飯の後やちょっとした休憩と毎日何杯かはチャイを飲む。

カリーを毎日食べたいとは思わないけど、チャイは毎日飲みたい。

もちろんコーヒーも必須なんだけど、コーヒーは毎日カフェに行って飲んでいるので、

アッサムの茶葉とティーマサラを買って家では毎日さっとチャイを淹れて飲んでいる。

毎日のチャイがあるだけで、なんとなく豊かな気持ちで生活をしている。

 

 

 

 

街はだいぶ人出も増えてきているけど、みんな閉鎖的で、精神的にも他人との距離ができたように感じる。

密を避けることが無意識に習慣みたいになっているだろうし、これからはそのスタイルで世の中が営まれていく気がして、とても寂しい。

ただでさえ最近そーっと生きてる人が増えていくようで窮屈だ。

アートも娯楽もそーっとしたものばっかりになって楽しいことや幸せの規模みたいなものも小さくなってきてるような感じ。

みんなが「仕事は辛いけど、週末にデパ地下のケーキ食べるのが幸せ!」みたいなオカマみたいな価値観になっていったら、そりゃめちゃめちゃホットな遊び場も、繁華街もロックンロールとかも要らないだろう。

そうやって街で遊ぶ人が減ると余計に街に面白い場所が減る。

デパートはAmazonとかゾゾタウンになるし、酒は家で飲むし、休みの日は家でゲームとかネットフリックスみたいになる。

たしかに、こんな所で飲みたいみたいなイカした飲み屋もなければ、その後の遊びもカラオケとかくらいだし、今の東京には日常に求めるような楽しいものがない。

みんなはどんな感じでしょうか?

駅前にいつでも縁日みたいのあったりしたらそれだけでなんとなく楽しげだったりしないかな。

 

 

 

新しいギターアンプを買った。

つい買ってしまった理由は家具みたいなデザインと色々なことがワイヤレスになるという点だ。

アンプ自体も充電ができてどこでも使える。

ギターのシールドもワイヤレス、それにBluetoothで音楽が流せるコンポにもなる。

こいつのおかげで家での音楽生活がカジュアルになった。

エレクトリックな楽器や音楽を日常に取り入れていると、一番面倒なのがそういう、線の類。

なくていいものはできるだけ省いていきたい。

できるだけ物は持ちたくない。

もともとあまり物は好きじゃないけど、旅を日常にしていこうというマインドになってから、より荷物は少なくしたいと思うようになった。

極端に言えば、1本のギターといくつかの気に入った服があれば充分だし、急にどこか遠くに行くことの足かせにならない。

物ではなくて、場所や体験で遊ぶのが好きだ。

 

 

 

ミャンマーが大変な時期を迎えている。

SNSミャンマー人の友達がミャンマーの状況を細かくシェアしてくれている。

ミャンマーには3年くらい前に1度だけ行った。

ミャンマーの人たちは奥ゆかしく、とにかく笑顔で親切にしてくれた人が多かった印象。

そんな国民たちが、毎日のように通りを埋め尽くすくらいのデモ行進をして、アウンサンスーチーさんたちの解放を強く訴えている。

おれが遊んでいた、最大都市ヤンゴンダウンタウンなんかは特に規模が大きいみたい。

 

道を通る軍の装甲車に向かってたくさんのベランダに出て鍋を叩いて訴える。

それを軍人が平気で銃で撃つ。捕まえてリンチする。

毎日のようにそんなことで怪我人が出る、何日か前ついに頭を撃たれた若者が亡くなった。

どんなにやられても彼らは決して武力は使わずに、非暴力で大きな敵に立ち向かっている。

非暴力はスーチーさんの根底にある精神だ。

あたりまえの日常を勝ち取るという感覚は、平成の東京で生まれ育ったおれには到底想像のつかない感覚。

 

とにかく1日でも早くミャンマーの人たちが豊かな気持ちで暮らしていける日がくることを祈ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インドネシア旅中の雑記

 

スラバヤという町からジャワ島の最東端、バニュワンギ駅に列車が着いたのはまだ夜も白まない頃だった。

列車ではほとんど寝れなかったので疲れていて、早くバリ島に向かいたかった。

 

バニュワンギからバリ島に渡るバスを探していたけど、駅前に停まっているバスはどれもツアーのバスで、運転手に尋ねると港からバスに乗れるかもしれないということだった。

 

真っ暗い砂利道をしばらく歩くと港の灯りが見えた。

人気のない港で、来るのかわからないバスを待っている。

 

しばらくするとじんわり明るくなってきた。

どこか近くから鶏の鳴き声と、モスクからのアザーンが聞こえてくる。

 

朝になるとともに、どこからか少しずつ人がやってきた。

すぐ近くでバスを待っているであろう家族連れに話しかけると、英語での会話はできなかったけど、「バリ島に行くためにバスに乗る」というようなことがわかった。

仲間ができて安心した。

お母さんは元気なおばさんで、ほとんど英語も喋れないのに、一人でいるおれにたまに話しかけてくれた。

お父さんは薄暗い港のあちこちをうろうろとカメラで撮りまくっている。

それに大人しくしっかりものの女子中学生くらいの娘さん、という感じの構成だ。

 

もう少しして来たレゲエのTシャツを来た兄ちゃんもどうやら同じバスだ。

 

 

1時間も待つとすっかり朝。

海の向こうに見えるバリ島のさらに向こうから太陽が昇ってきた。

家族連れは弁当を出してきて地べたに座って朝ごはんを食べている。

そこに、乗客でパンパンのバンが止まって、ドライバーが降りてくると「バリ島に行くけど1人なら空きがある」と捲し立てて、近くにいたおれを強引に乗せてこようとした。

おれが断り続けていると、様子はよくわからないけどお母さんが現地語でドライバーと話し、おれに「乗っちゃダメよ。こっちに来なさい」というようなジェスチャーをして、ドライバーを追い払った。

なんだったのかはわからないけど、なんとなく怪しげな空気だった。

 

それからすぐに今度は空のハイエースが止まった。

バリ島のデンパサール行きのバスだという。

バスといってもやっぱりボロボロのバンだった。

運転手はデカイおっさんでボサボサ頭で寸足らずの変なジャージに便所サンダル。

おっさんが近所のコンビニに行くんでももう少しまともな格好をするだろう。

とにかくみんなで車に乗り込んだ。

港に着いて2時間近く経っていた。

 

 

バンに乗り込むとすぐにフェリーに乗った。

一旦車から降りてハシゴを登り、甲板に出た。

 

遠くジャカルタからずーっと東を目指して、たどり着いたジャワ島の端。

どんどん遠く離れていくジャワ島を背に。

甲板の先の長椅子に座り、現地の漁師のようなおっさんたちに混じって煙草をふかしながら目の前に見えるバリ島からの風を浴びている。

最高の気分だった。寝不足も風にさらわれていく。

 

バリ島に入るとまずは、車の入域手続きみたいなもの、おまけにその間にお父さんがフラフラとどこか行ってしまったことで時間をとられた。

 

いよいよ走り出したと思ったらまたすぐに路肩に止まって、乗客を残したままドライバーが車から降りてしまった。

あまりにもノロノロ運転をしていたので、給油かなにかかと思って少し待ったけど状況は変わらない。

「ハングリー?」とお母さんがジェスチャーをしながら聞いてきた。

よく外を見ると、目の前の食堂でドライバーは仲間と楽しそうに朝飯を食べている。

乗客全員がただ黙ってそれを待っているのだ。

めちゃくちゃな眠気と夜通しの疲労がピークにきていて、とにかく早くまだ決めていない宿のベッドに飛び込みたかったおれは、奴にとてもうんざりしていた。

車内の暑さが嫌になり外に出ると、続いてレゲエのお兄ちゃんも降りてきた。

彼はおれの肩を叩くと、やれやれというような顔で首を傾げながらおれに煙草を勧めてくれた。

特に会話はなかったけど、お互いに同じような気持ちで煙草を吸っていた。

 

 

みんな、 やれやれ という感じでリラックスした様子でドライバーを待っている。

疲労困憊で余裕がなくなり、先を急いで苛立っていたのはおれだけだ。

そうだ、これがアジアだった。

今まで各地でこんな"アジアのテキトーさ"  に振り回されてきたし、それこそがおれの中のアジア旅の醍醐味だったということに気がついた。

 

 

だとしても、疲れ切っていることには変わらないし待つのは嫌だったけど、体から変な力が抜けた気がした。

運転手はご飯を食べ終えて、仲間とおしゃべりをしながらゆっっくりと2本の煙草を吸ったのちにもちろん悪びれる様子もなく、やっと出発した。

 

車内はエアコンも無く暑っい上に、サスペンションの弱すぎるのかガッタガタな揺れ、野猿が多いので急ブレーキばっかりという最悪のドライブにも関わらず、さっきまでの体の力が抜けたおれは到着するまでがっつりと爆睡をきめた。

 

 

 

 

 

 

2020年、今年は丸々、世界中で大流行している新型ウイルスのせいで東京での引きこもり生活を強いられてしまっている。

 

今年の1月にネパールを旅したけど、それからもうほぼ1年。旅をメインにする生活を初めてから東京での生活はずっと"次の旅への滑走路"みたいな感じだったので、旅を前提としないでズルズルと東京に居続ける生活にはうんざりしてくるし、正直少しの焦りみたいなものもある。

 

東京の様式も変わり、おれの心の故郷、東南アジアの風景もおれが訪れることができない間に変わってしまっているみたいだ。

おれの東南アジアのベース、タイのバンコクは特に観光産業で栄えている街なので、繁華街は閑散としていて、空きテナントがどんどん増えていっているというような現地からのニュースが飛び込んでくる。

バンコクで暮らしていた友達も、新型ウイルスの影響で仕事を失くして、イサーンだったかの実家に帰り、タイの正月の準備をするお金もなく、病気の母親と親戚の子供たちの面倒を見る毎日を送っているという連絡がきた。

彼女はおれの中での都会のタイ人女性の象徴のような性格でマッサージの仕事が終わると、毎日のようにくだらないことでゲラゲラ笑いながら朝まで飲み歩いているような底抜けにパワフルな人だったんだけど、最近ではメッセージや電話では愚痴ばかりになって「死にたいわ」が口癖になってしまっている。

 

おれなんかは、収入にもほとんど影響はないし、ただ旅に出られない、とぐちぐち言っているだけの能天気な奴だ。

 

一緒に働いているベトナム人の友達も、

今年大学を出る年で、就職活動をするタイミングが新型ウイルスと重なって、なかなか就職も決まらず、ビザを更新して日本に居れるのかという不安。

外出自粛期間の収入減でつくった借金を返すために、学校に通いながら5つもアルバイトを掛け持ちするような生活にかなり参っている。

この前、バイト終わりに飲みに誘った。

彼女は普段は飲まないお酒とお腹いっぱいの料理を平らげて、少しは気晴らしになったみたい。

別れ際、「まあ、できるだけ気楽に、でも今はちょっとだけいつもより頑張るんだよ。」と声をかけると、彼女は「ありがとう。出会えてよかったよ!」と言い、笑顔で帰っていった。

今時日本ではあまり聞かないようなストレートな言葉。

そんな素直でかわいい奴なのだ。

外国で健気に頑張っている。

いつか振り返ったとき、日本での生活が面白おかしかったと思ってほしい。シンプルにそう思う。

自分のことで精一杯なんだけど、いくらか歳を取ったのかなんなのか、辛い思いをしている人を見るととても心が痛いし、なんとか楽しくやっていってほしいと最近いつも思う。

 

たとえば今、香港でとても大きな敵と戦っている人や、世界中で人種やカーストによって屈辱を受け続ける人たちにはとても心を痛めるんだけど、

ただ、どこか遠くで辛い思いをしている人の力になることは、今のおれのキャパではあまり想像ができない。

どうしてもおれはおれと関わる人たちのほうが身近だし、その人たちの不安や悩みみたいな生活の中でのマイナスを取り除いてあげるようなことはできる限りしたい。

 

特に今の状況だけど、世の中がみんなダウナーな感じだし、落ち込んでる友達たちに直接してあげることは結構少ない。

ただ優しくっていうのもクサいし、なんだろう。

要は、ブルーハーツみたいな。

"おまえのブルーハーツ" みたいなもので居たい。

おれの性格やスタンス的に、「ガンバレ!!」というよりは、「できるだけ楽しくやろうね」というニュアンス。きみもおれも。

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに書いてみる。

 

夜だ。

ついこの前までまだ暑かったのに、もう肌寒い。

リズムアンドブルースが格別に合う季節になってきた。

夏も最高だけど、冬に向かって寒くなって行くこの季節も最高だ。

 

 

おれは相変わらずに東京では地味に過ごして、まとまった現金ができると何処かへ旅にでるような生活をしている。

だけど、未だにアジアから出ていない。

アジアという大きな沼に浸かってしまっているみたい。

特になにも考えずに無造作な旅を続けているうちに、アジアの奥深さにずるずるとはまっていっているみたいな感覚だ。

ここ最近はわりと活発にキビキビとした(おれの中では)旅をしている。

今年に入ってからマレー半島シンガポールから陸路で縦断してみたり、インドネシアのジャワ島を列車で横断したり、すこし忙しなく、だけど濃い日常だ。

 

 

つい先月の終わりには友達とバンコクに行ってきた。

たまたま激安の航空券を見つけたから、そのまま予約してふらっと乗ったんだ。

バンコクは何年か前に旅したのを皮切りに、東南アジアの国への玄関口なので、乗り換えなんかがあるたびに調整して遊びにきたりしていた。

ローカルな長時間移動の毎日や、ど田舎でのアグレッシブな体験での疲れを癒しに旅の帰りに寄り道して2〜3日ゆっくりする、みたいなのが通例だ。

毎日昼過ぎまで寝てラーメンなんかを食べたりマッサージに行ってだらだらと過ごすのがおれのバンコクの最高の贅沢だ。

 

今回男2人旅で、5日くらいだったけど、ハードに遊びを詰め込み、夜毎ビールをたくさん飲んであっという間の時間だった。

バンコク初めての友達のおかげで久しぶりにベタな観光地にも行きつつ、おれが前から行ってみたいと思っていたシリラート博物館(シリラート病院に併設されていて死体とかが展示されてる)にも行ったりした。

 

 

バンコクは今まで旅した中でも一番よく滞在する街。

それに東京で生まれ育った街っ子のおれには東南アジア屈指の大都市、バンコクがとても落ち着く。

昔のバンコクをよく知るバックパッカーや旅人の先輩たちが言うには、バンコクはどんどんつまらなくなっているらしいけど、少なくともおれには、シンガポールやクアラルンプールよりも東南アジアのカラーがあるし、どんどんつまらなくなっていく故郷、東京と比べたらこんな最高な街はないような感じだ。

 

おれのバンコクでの最高の遊び場はストリート。

もちろんバンコクには東京以上に遊びがあると思うし、イカしたクラブもバーもある。

おれは東京では特に、クラブが好き!とか オシャレなカフェ行きたい!とかいう感じでもない。

東京でもそうだけど、だいたい夜型生活。

街を延々と歩いて人を見たり、誰かとちょっとしたコミュニケーションを取るのが楽しいんだ。一人旅だと特に。

 

 

 

明るいうちからパブのテラスでビールを飲む。

ハッピーアワーでビールが安い店はいくつか知っている。

だいたい暇そうな店員のおにいさんと「Where are you from?」から始まるような適当な話をしながらビールを飲んで、今日はなにしようかとか考える。

 

 

 

スクンビット通り沿いの屋台。なにか食べようかと歩いてると 歩道の端に並べられたテーブルでなんだかわからないけど美味しそうなものを食べているゴーゴー嬢がいる。「それ何?」って聞くと答えもせずに「美味しいから食べてごらん」と一口くれる。だいたい美味しいんだけど、一口で満足してしまうことが多い。

 

 

イカウボーイのビアバー。かわいいとは言いがたい感じの元気な女の子が隣に座ってくる。

1杯奢らせられながら「今日は忙しい?」「今日は日本人が多いわよ」みたいな話をする。

バイクで来ているという彼女はあからさまに酔っ払ってるけど、「あと2杯でやめておけば問題ない」とのこと。

給仕のおばちゃんまで「私にも飲ませて!」とか言ってきて図々しさに押し負けて奢るとテキーラをショットがくる。しかもだいたいおれの分も来る。どんな国でもおばさんのパワーには勝てない。

 

 

アソークの駅前で物乞いをしてる小さな男の子と女の子。1回お金をあげたら、それから顔を覚えられて見かける度に走ってくる。昨日も一昨日もあげたじゃんとか言いながらも彼等もプロ。黙ってきらきらとした目で訴えかけてくる。「ハングリー?」と聞くとめちゃめちゃに首を縦に振るから、「しょうがないな〜」と10ルピーずつあげると「昨日は20ルピーだったのに!」とかいいながら走り去る。どうしても子どもたちには弱い。

 

 

 

今回久々に行ったカオサン。夜中に路上に出る屋台のバーのイスに座るとすぐに日本語で話かけてくるお姉さん。

「日本が好きで、この前まで住んでたんだよ〜」とベロベロで話しかけてきた。

東京に行ったことがあるらしく、「スカイツリーどうだった?高かった?」と聞くと「うん。値段がね。あれだったら飲み屋でビール飲んでた方がいいわ。」とか話しながら夜を更かす。

 

 

 

夜の街は特にだけど、みんなフランクでコミュニケーションすることに敷居みたいなものを感じないし、顔見知りくらいの自然な対応が気持ちいい。

堅苦しくお互い名乗り合うようなこともないから、よく道や店で会うしダラダラといろんな話をしたりするけど、名前を知らなかったりする。

 

たまたま居合わせた人となんとなくその場を共有するというのが贅沢な時間だ。

バンコクの街にはそんなものがそこら辺に転がっている。

おれがアジアに行く一番の理由は名所でも名産でもなく人なんだと実感する。

 

 

 

 

 

 

 

 

年が明けた。最近年越しというイベントがなんだか頻繁に来るような気がしててあまりスペシャルな感じがしないから、今年の年越しはわりとオールウェイズなモード。

晦日、一人で居るばーちゃんの所にみんなで集まってだらだらとした。NHK紅白歌合戦、あまりよくわからない若い歌手がカラオケみたいな感じでありそうな歌ばかり歌った後に、サザンオールスターズが圧巻のパフォーマンスで番組を締めくくっているのを見ていた。

 

2018年、学校に行っているわけでもなけりゃ非規則的に暮らしてるおれの中ではそんな括りはいまいち曖昧だけど、なんとなく振り返ってみる。

 

 

まずはやっぱり旅だ。

春先にベトナム。南北2大都市ハノイホーチミンに行った。

ベトナムは今でも社会主義国。他の東南アジアの国と同じように裕福ではないけど、道で暮らす人や物乞いがいない。人々の身なりを見ても貧富の差がほとんど感じられなかった。

特に物価が安くて、食べ物も美味しかった。

ハノイの飲み屋街を毎日ほつき歩いて、屋台の美味い焼き鳥と1杯20円そこそこの温いビールを飲んだりした。

ジメジメと暑い国で飲む水のようなビールはとにかく最高だ。

ホーチミンではスリにバッグを引ったくられた。盗られてしばらくはだいぶおちこんだような気がするけど、まあ今となってはすっかり笑い話。それにピンチの時開き直ると無敵。荷物と一緒に気持ちも楽になる不思議。

 

夏はミャンマーバンコクに行った。

ミャンマーのローカル具合と信仰心の強さは強烈だった。ミャンマー最大のパゴダ(仏教寺院)シュエダゴンパゴダで陽が落ちる頃、夕日が差し込む仏塔の周りで熱心に祈る人の背中を覚えてる。美しかった。

バガンの遺跡群は小さな村の周りにあってとても長閑な道を借りた原付できままに走り、四方八方にそびえる、大きさも形も違うパゴダを眺めて回った。タイのアユタヤ遺跡、カンボジアのアンコール遺跡群を思い出したけどそのどっちよりも田舎で  何もない事がとにかく良かった。

ミャンマーではいつもよりもバスできびきびと移動した。ご飯はなかなか不味く大変だったがそれがまた  来た甲斐 ってものかもね。

ヤンゴンの都市型ディスコに行ったり、怪しい若者と酒を飲んだりもした。

帰りにはバンコクによって贅沢な気分を味わった。スクンビットのど真ん中のホテルに泊まっていままでで一番リッチな宿だ。部屋に冷蔵庫があるのも久しぶりだし、しっかり暑いシャワーが浴びれる。ミャンマーでの食ストレスを解放すべく、毎日ラーメンやココイチ、牛丼なんかを食べてゴーゴーバーで夜毎冷たいビールを飲んだ。

 

11月には韓国。友達が暮らすソウルに遊びに行った。ソウルは東京とあまり変わらず、物価もおれの旅としてはかなり出費があった。だけど友達の家に泊めてもらって宿代はかからなかったし、意外にも友達がとても素晴らしいホスピタリティに良い気分。

猫達と気ままに過ごし毎日とても美味い韓国料理とビールを飲んだ。

初めての 人に会いに行く旅  だったけどそんなのもとてもいいものだった。

 

 

旅メインの生活で今年は色んな所にたくさん行って帰ってこれてるからとても良かった。

色々な所に行って色々なものを観て感じる。

やっぱり自分の生活圏、東京だけでは思考も縮こまる。海外志向という訳でもなくてむしろ自分の国、地元、日本、東京が離れるとよく見える。みんなが絶対言う、「日本ほど治安が良い所は他にないよね〜」とか「結局日本が一番食べ物が美味い!」とかがわかりやすいやつだろう。

異国に行って自分や日本を今まで見れなかった角度で見れる、知れる。

異国で一人、追い込まれた時に自分て本当によく見える。良い所も悪い所も鮮明だ。

昔から魅力的な人は口を揃えて「とにかく一人で旅に出ろ」と言っていたの今になって意味がわかった気がする。

沢木耕太郎さんじゃないけど「旅の道連れは自分自身」ていう感覚がとてもしっくりくる。

 

旅 ってどこかに行くことだけじゃなく、感覚としては新しいことを始める、とかいつもと違うことをしてみる、日常を変えてみる、みたいな気持ちのお話のような感じがしていて、例えばおれはしばらくは1年間同じ環境ってことはなくて、住む所や仕事や生活が変わっていたりするので飛行機に乗らなくても旅って旅じゃん、とか思ったりもした。

今年早々にホンキートンクバーの仕事をほとんど辞めて春から夏、蝉時雨の千駄ヶ谷の喫茶店で働いた。昼の生活はとても久しぶりで、夕方には仕事がはけて街に遊びにいく、なんて慣れないこともした。

そして秋からは街で自由なデリバリードライバーをやってる。毎日チャリで街に行ってマイペースに仕事を取ってはやりつつ一服しに喫茶店に入る、というおれの休みの日の動きに限りなく近い仕事。

それに週1回はホンキートンクバーでのバーテンダーもやっている。

それぞれ全くシーンが違う。時間も景色もやることも違う。これが旅なんだろう。

だから今年は旅の隙間に旅の資金のために旅をした、みたいな感覚になる。

物なんか要らないからお金を稼いでとにかく色んなものを見たり、色んなことをして、色んな気持ちになることだけ考えているようなエクスペリエンス思考のおれにはとても良い環境だったと思う。

気持ち のために気持ちにのっとって暮らしてる。ポジティブでもネガティブでも針を揺さぶってくれるなにかが欲しいんだろう。

 

そうそう、クイーンの映画、ボヘミアンラプソディをソウルの映画館で観た。

最高だった。今年のヒラカワレコード大賞はクイーンだ。

今年もたくさん音楽を聴いたけど、やっぱり揺さぶってくるやつだ。ゾクッとするやつだ。

フレディがライブエイドでピアノの前に座ってボヘミアンラプソディを歌い始めるシーンは最高にゾクッとするし、エルモアジェイムスのスライドギターや、レイチャールズが歌うジョージアオンマイマインド、ボブディランの言う「どんな気分?」にゾクッとする。

人のひりひりするような感情とか言葉とかそういうことにゾクッとさせられるのは最高に気持ちいいし麻薬のような感じだ。

 

今年は2019年。平成が終わるとか騒いでるけど実感が湧かないというかやっぱりどこか他人事。平成が終わることよりも東京がメキメキとつまらなくなっていってる事の方が問題だ。

このままいく所までいくようならおれも考えなきゃいけないね。

とにかくくだらないものに邪魔されないように柔軟に貪欲に楽しくやろう。

 

 

 

ソウル

 

秋の終わりの韓国、ソウルまで友達に会いに行った。

名前はスジ。出会った頃から妙に温度が合う奴で、

韓国人だけどそんなこと意識させないくらいには日本語がわかる。

東京では一緒にいろんなことをして遊んだし、よく真夜中に酒を飲んだ。

スジは何年か前に地元、ソウルに帰って絵を描いている。

前々から   韓国きてよ!  と猛プッシュされていたんだけど、10月頃、急に気が乗って航空券を取った。

大切な友達、あいつの生まれた街、暮らしを見てみたいとおもった。そんな経緯だ。

 

昼頃、成田からの便で3時間弱。

いつもの東南アジアよりもぜんぜん近かった。

空港からバスでソウル市内、スジの住むキョンボックンという街を目指す。

仁川空港からバスで1時間、キョンボックンの駅前のスターバックスでスジと待ち合わせた。

そんなに久しぶりでもない、半年ぶりくらい。

いつも会ってるかのように再会してサムギョプサルと美味いビールを飲んだ。

スジの家は兼アトリエでこじんまりとしたビルの2階から4階、それと屋上だ。

猫が2匹いる。トウキョウ と ドド だ。

猫にトウキョウとつけるのがとてもあいつらしい。

屋上からの眺めは素晴らしく、わりと近くに小さな山も見える。

アトリエを片付けて布団を敷いたら立派なおれの部屋ができた。

そんな最高の環境で毎日ビールを飲み、猫たちといい時間を過ごした。

昼間スジが仕事に行っている間はひとりでソウルをうろうろした。ナンデムン、トンデムン、

市場でごはん食べたり学生街をうろうろして買い物をしたりした。

街は東京と同じくらい栄えている。

道端に食べ物の屋台があって人が寄り合っているのがノスタルジーな感じだ。

夜はスジといろんなものを食べた。サムギョプサルから始まってダッカルビやプルコギ、コリアンバーベキュー。もちろん毎食ビールはかかせない。たくさんの食べものでもてなす文化の韓国ではだいたい何を食べても量が多く、頼んでもないキムチや漬物なんかもたくさん出てくる。毎食ビールとごはんでお腹がパンパンだ。

帰るとリビングで2人で飲み直す。一緒にクイーンの映画を観にいったもんだからクイーンばっかり聴いていた。

最後の日はスジが休みをつくってくれて、一緒に観光した。昼過ぎの散歩、寝起きのチキンとビールから始まって、道に迷って閉館に間に合わなかった画廊、スジも初めてのソウルタワー、夜中はイテウォンでクラブなんかに行ってみた。

ソウルのクラブはパブっぽくイカしてた。

流行りのEDMは東京と変わらないが、誰でも楽しめる自由な雰囲気でしこたまジャックコークを飲みながら知らない流行歌を楽しんだ。

次の日は帰るだけ、朝、スジがつくってくれたジャージャー麺を食べて、スーパーでお土産を買いつつバス停まで送ってもらった。

最後の最後まで2人してくだらないことを言っている。でもきっと同じような気持ちだろう。

なんとなく言葉に詰まる。

スジもわりと頻繁に東京にくるし、会えないということよりも、短い間、2人で生活した日が終わることに少しだけ寂しいんだろう。

ソウルでの5日間、なにも決めずにダラダラと過ごした。毎日2人で飲み、これといって何を話すわけでもなく、昔話やくだらないことばっかり言っていた。

お互いわかっていると思うから普通のことは言わない、言えない。

口にはしないけどスジはとても全力でもてなしてくれていたし、時間もつくってくれた。スジはとても人を大事にするいいやつだ。

その心づかいに胸が苦しくなるくらいに嬉しかったけど、照れ臭い。スジは感じてくれていると思う。

いきなりそんな事を口にするような関係性でもなく、そういうところはお互い態度で会話してるみたいだ。

スジもおれもはるばるソウルまで来たことを喜んでいてくれたと思うし、おれもどうなることやらと思っていたけど思い出すととても尊い、最高の時間だったと思ってる。

予定より少し遅れてバスは来た。

あまりにも急だったから、お互い  気をつけてね。  ありがとね。みたいな感じでハグをして別れた。スジはバスと反対に向かって歩きながら手を振っていた。

 

海の向こうまで人に会いに行く旅は初めてだったけど、とてもドラマチックで良いものだと思った。

スジとも東京で飲んでいるのとはどこか違う、変な感じだ。あいつもそうだろう。

やっぱりいつもより張り切っていたし、すこし表情が違った。

東京にいると会いにきてもらうことの方が多いけど、みんなに会いに行きたいと思った。