ウエストゲートパークからの挨拶

 

年が明けた。

今年が去年になって、来年が今年になった。

みんなどんな感じでしょうか。

 

おれは来年通り、特に年末年始っぽいことはないままに年を越した。

うそ、今年は初めて20歳下のいとこにお年玉をやった。

昔からうちにはお年玉なんて文化はないんだけど。

お互いにとって唯一のいとこ、せがまれたからには夜食のラーメン代をペヤングにケチってでもあげてしまう。

彼はいつか世話になれる唯一の歳下の親戚だ。

 

 

去年、2022年はやっと、2年半ぶりにアジアを旅することができた。

ある意味とても大きな年だったかもしれない。

ラオスにタイの田舎。

失われた時間を取り戻すみたいにちょっと忙しない旅をした。

 

久しぶりにバンコクにも帰ることができた。

バンコクという都市は、おれが世界一クールな街だと思っている東京と同じくらい好きな街だ。

なんだかんだ、「田舎はいいね」なんて、

たまに思いつきみたいに言ったりしながらも、住むような気にはさらさらならない。

どうしてもおれの故郷はビル街なので雑多なくらいが落ち着く。

 

 

今年もたくさんのイカした音楽を聴いた。

10代の頃は大好きなロックンロールから、どんどんルーツを遡る旅だったけど、

20代になってからやっと自分が生まれた頃くらいの音楽にまともに触れていっていて、

昔から周りのバンドマンが散々口にしてたようなバンドを今になって初めてちゃんと聴いて、「なるほど、そりゃあみんなかっこいいって言ってたわけだ。」となったりして楽しい。

 

レッドホットチリペッパーズやオアシス、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンジャミロクワイなんかだ。

それに現行でおれと同い年くらいの人たちでかっこいい音楽をやってるやつが世界中にいる。

 

そんなものを面白がって聴きながらも、やっぱりベースはリズムアンドブルースやロックンロール。

60年代後半から70年くらいまでのローリングストーンズをもう一回ちゃんと聴いてみよう、

とかT-REXやクラッシュの初期がここ最近では一番かっこいい。

 

そして今年で言えば殺し屋、ジェリーリールイスにウィルコジョンソン。

おれが子供の頃から大好きだった人たちが亡くなった。

おれが聴いてるような人たちは、

今ではみんな70代80代のおじいちゃんだし、

好きな人は出会った時にはとっくに死んでいることの方が多いんだけど。

ただ、おれが出会った時にはすでに歴史上の人物レベルの大御所だったローリングストーンズやポールマッカートニーがまだ現役でいるのはやばい。

 

 

2023年っていうと、

藤井フミヤトゥルーラブと同い年のおれは30歳になるみたいだけど、

今ではそれはどうだってよくて、

今は耳にしなくなったけど、

ロックの標語として「大人(30歳以上)の奴は信じるな」っていうのがあった。

何日か前に、18歳だか20歳の人たちが成人式やってたみたいだったけど、

それよりは30歳のほうがいくらか節目っぽいものが薄ら見える気もする。

 

成人の日?になるとSNSとかで、こぞって大人が成人式の写真やエピソードを語りだすやつがあるけど、

おれは成人式の日になにやってたかなんて覚えてないし、世の中の節目の20歳としてなにを思ったのかなんて覚えてない。

みんな記憶力がいいんだなあ、と毎年感心してる。

 

30歳になってなにを感じるんだろう。

まあおれが犬だったら、どっかから取材でもくるくらいに長生きなんだろうなあ。

 

 

 

 

エストゲートパーク。池袋西口公園もおれが子供の頃とかガラッと雰囲気が変わっちゃったけど、それでもやっぱり地元のオアシスとしてどこか特別な思いがある。

 

今は昔よりも少しだけお金もあるし、仕事もある。

10代の終わり頃、お金も行くあてもないから毎日ウエストゲートパークに来ては、

ただずーっと座って音楽を聴きながらいろんなことを考えたり、街を眺めてた。

 

せいぜい10年ちょっと前のことだけど、

まだあの頃の池袋の街は今よりも、もう少しだけしょうもないものがたくさん残っていて、

ただ眺めているだけで退屈しなかったような気がする。

 

んなわけでウエストゲートパークからの挨拶ってことだけど。挨拶でもないか。

ニュージャージーの兄貴、ブルーススプリングスティーンのデビューアルバム「アズベリーパークからの挨拶」のパクり。

ニュージャージー州の「アズベリーパーク」は公園じゃなくて地名みたいだけど、まあまあ。

 

そのアルバムからではないけど、

スプリングスティーン先輩の大名曲を。

 

 

https://youtu.be/IxuThNgl3YA

 

 

 

 

 

 

 

山手通りはもう冬なのさ

 

キャンディステイトンの歌声が

ぴったりとくる冷たくて乾いた風

ソウルミュージックは冬の季語だ。

 

 

相変わらずにギリギリかつ

なんとなく余裕のあるバーボンソーダに浮かぶレモンのような生活は

お金を豊かなエクスペリエンスに変えることで

バランスを取っているみたい

 

 

30年くらい生きてみると、もう10年以上思い続けてきた「若いことが恥ずかしい」みたいなものが薄くなってきている。

それよりも今は「立派な人になる」というのが恥ずかしいと思うから、できるだけ「くだらない町人」みたいなやつで居たいと思ってる。

 

 

あまりお金持ちになるのはあんまり楽しくなさそうってことで、ならないようにしたいけど、

一回くらいはやってみたいとも思う。

金が無ければ道端の安飯、

金があればエルガウチョ。

 

 

東京はとにかく便利で安心なサイコーな街だ。

道は歩きやすいし、電車はすぐに来る。

日本食が世界一美味いし安い。

ただ少しだけ、「こうであるべき」みたいなものを人に強いるような所を感じるので、

なにかに属したりできない人には優しくない街かもしれない。

 

ただ、日本以外の色んな町を駆け足ながらも暮らすように旅をしてきて思うことは、

「日本ってつまらないよね」もあるけど、

日本客観的に観ると、「日本で生まれ育ったことへの誇り」みたいなものが芽生えていってて、

それはおれが日本で生活してた時にはなかった価値観。

 

月並みだけど、「I'm Japanese」という言葉に対するリアクションは、ほぼ全人種からポジティブなものが返ってくるし。

先進国だとか関係なく、日本出身っていうのが最高にクールなブランドとされていることを外国人との会話の中でいつも実感する。

 

自分のなにかを誇りに持つと人は輝くことってあるなあ。

ワールドカップの会場でゴミ拾ってる日本人とか、

海外に出ると日本人ってアイデンティティが生まれたりする。

日本人として恥ずかしいことはできないよなとか。

それが国内でも、なんにでもあればいいのに。

「男として」でも、「人として」でも「自分として」でも。

 

 

将来の夢やビジョンみたいなものは、

具体的になにになりたいとかじゃなくて、

どうなりたいみたいな方がしっくりくるし、

おれには子供の頃からそれしか描けたことないなあ。

夢を発表させられたりする時に、

それが職業であることが前提だったので毎回テキトーなことを書いてた。

ベースがアホなのだ。

 

 

キンキーレゲエを聴いている。

ボブマーリーという人、ウェイラーズというグループがおれは好きだ。

レゲエにさらわれているような人たち。

ロバートジョンソンじゃないけど、

まるで寿命と引き換えに音楽をやっている人たちが好きだ。

 

明日死んでもいいからこんな風に歌えたら。

ジャニスとか聴くとそんな感じがすごいよね。

明らかに命を削って歌ってる感じ。

めちゃくちゃかっこいいブルーズをやったジミヘンや、ジャニスは、おれより3つくらい歳下だ。

 

みんなが賢くなった今、

ロックンロールとかブルーズみたいな狂った音楽は流行らなくなった。

最新のロックチャートにもロックンロールはありゃしない。

だけど世界中でずっと今でも、トップクラスに老若男女を踊らせている、ローリングストーンズやAC/DCはバリバリにブルーズやってる。

 

こんなに寒い東京の冬、

せめてホットなロックンロールくらい聴かせてくれ。

 

 

 

 

 

ジェリーリーが死んだ夜

 

最高のロックンロールピアニスト、ジェリー・リー・ルイスが死んだ。

 

"ロック歌手 ジェリー・リー・ルイスさん死去"

というどこか間抜けな見出しのニュースが夜明け前に流れてきた。

 

ジェリー・リー・ルイスは、殺し屋がニックネームのイカれたピアニストだ。

同世代のピアニスト、リトルリチャードと並んで、おれの一番好きなロックンロールピアニスト。

ちょっと違う路線にはレイチャールズという神様もいるけど。

 

ロックの楽器といえばギターってイメージで、

ピアノなんてどこか退屈な楽器だと思っていた中学生のおれに、

ピアノは最高にイカした打楽器だと、

ハイロウズの曲の中から飛び出してきたジェリーリーが教えてくれた。

 

ピアノをスタンディングで弾き倒し、

鍵盤を足で蹴り上げてシャウトする、

彼のスタイルはまさに殺し屋だ。

 

1950年代の真ん中あたり、

チャックベリーにエルヴィス

エディコクランにジーンヴィンセント。

リトルリチャードにジェリーリールイス。

彼らがやっていた真新しく最高にエネルギッシュな音楽は"ロックンロール"と呼ばれるようになって、

彼らに憧れた子供たち、

ビートルズローリングストーンズ、ザ・フーみたいなやつらがさらに火を大きくして、

ロックンロールは世界中のポピュラーになった。

 

70年弱くらいのロックの歴史の中で、

もちろんたくさんのめちゃくちゃかっこいいミュージシャンが次から次へと出てきたのだが、

結局、チャックベリーのギタースタイル、

リトルリチャードの絶叫。ジェリーリーの鍵盤連打、みたいなのがロックの至高なんじゃないかと頻繁に思う。

ロックのピアノの始祖ジェリーリーを誰も越えないんだ。少なくともおれの中では。

 

もちろんニッキーホプキンスやドクタージョンなんか最高だし、

ビリージョエルみたいな、

まるでニューヨークの摩天楼に反射するようなピアノも大好きだけど。

 

もしもこれからピアノを弾けるようになることがあったとしたら、

間違えなくピアノのチェアを粗大ゴミに出して、ジェリー・リーをお手本にするだろう。

 

 

エディコクランやバディホリーは20歳そこそこで亡くなってしまった。

リトルリチャードやチャックベリーも、女王ワンダジャクソンもここ数年で亡くなった。

エルビスもボディドリーもジーンヴィンセントももういない。

そしてジェリーリー。

ロックンロール黎明期のミュージシャンはもう誰一人残ってないって言ってもいいかもしれない。

 

ロックンロールが薄まってきた気がするこの時代と、元祖ロックンローラーたちの死。

時代がまたひとつ変わるような気がする。

ただもちろん、若いロックバンドも最近けっこういるし、みんな最高にクール。

ロックンロールが無くなることはないだろう。

 

それにジェリーリーが死んだって、

彼の作品は残っていく。

 

https://youtu.be/Fw7SBF-35Es

 

 

 

 

 

 

酔いどれトムとドライベルモット

 

東高円寺の安アパート。

とにかくお金はなかったけど自分を貧乏だなあなんて実感はなかった。

 

飲み屋の仕事がない時間はたいていどこかで酒を飲んでいた。

あの頃は仕事は夜からだし、遊ぶ友達もみんな夜行性。

毎晩のように昼近くまで遊び歩く、そんな生活だ。

 

夜の生活には明らかにそれの雰囲気があって、

生活時間帯が合う人っていうのはそれだけで、酒の飲み方や趣味趣向が合うことが多かった。

 

今はどうかわからないけど、10年前くらい前の中野や高円寺なんて街には、どんな奴も取り込んでしまうような夜中の空気があった。

 

 

 

無駄なものしかないおれのアパート。

そこでおれたちはいつも安いつまみを買って集まって

ドライベルモットを飲んだ。

 

 

そういやベルモットなんて酒、あったなあ。

最近では酒といえば缶ビールかチューハイみたいになっている。

ベルモットはワインをベースにハーブなんかを混ぜたようなリキュールだ。

カクテルの材料に欠かせないので、バーなんかでは必ず置いてるだろう。

 

酔いどれ詩人、トムウェイツのファーストアルバムなんかをつまみに、ざらざらとした夜をドライベルモットで割って飲んでいた。

 

わざわざ氷なんかを用意していたか、

そんなようなことはなにも覚えてない。

なにもないのになんでもあるような気分だった。

 

今でもトムウェイツのオルガンの音を聴くと、もちろん安バーボンも飲みたくなるけど、

やっぱりドライベルモットの匂いが頭の中に広がる。

 

 

 

 

 

 

秋の匂いがする雨が降ってる。

 

コロナ禍を挟んで2年半ぶり、

ラオスとタイのイサーンの旅から東京に帰ってきたんだけど。

田舎のカルチャーや風習はディープで、

とにかくローカルに揉まれて、現地人のフリをして最高な5週間だった。

 

 

久しぶりのバンコクもコロナ禍をほぼ終えて、ほとんど今まで通り。

駅で電車の路線図を見るだけでも、

明らかに数年前よりもぐんとビッグシティになっていたし、物価もまた上がった感じがした。

 

それでもデパート服屋のお姉さんはフロアにあぐらをかいてご飯食べてるし、

トゥクトゥクのおっさんは道端で昼寝してるし、

とにかく相変わらず大都市なのにのんびりとしたバンコクだった。

 

コロナ禍で長い時間が空いたことで、どこか新鮮に旅の感覚を思い出した。

一人旅では、自分をゴキゲンにすることだけを考える。

そこにマストなことはなく、嫌ならやらなきゃいいし、やりたいなら強引にでもやる。

とにかく自分自身と旅をすることだけで忙しい。

 

リアルタイムで人がつくり出す光景に勝る美しさはない。

前から思っていたことだけどさらに強く実感した。

遺跡や綺麗な絶景よりも、小さなお寺で手を合わせる現地の人たちの姿の方がおれはたまらなく絶景だと思ってる。

東南アジア、は宗教が身近。

今回旅したタイ、ラオスは特にそれで、

敬虔でありながらどこか身近。

ぶらっとお寺に行って、丁寧にお祈りをするし、

ひけらかすこともせず当たり前のように、人に手を差し伸べる。まるで家族みたいに。

 

そんな過去の遺跡アンコールワットよりも素晴らしいと感じる光景は町中にある。

ただ町を歩いて、現地人に混じって屋台飯を食べて、お寺で見慣れない仏様に手を合わせる。

彼らと同じ場所でできるだけ同じような暮らしをすることで、その気持ちに少しは近づける、ということがおれの旅の一番の収穫だ。

 

 

 

帰ってきた真夏の東京はタイよりも暑く、

早速夏バテ。

相変わらず静かでクリーンな都市で、

ホームタウンの安心感はあったけど案の定、

1週間もしたら飽きてしまった。

あからさまに個人プレーの集合体みたいな雰囲気はどうしても寂しく感じてしまう。

最近の東京は、抱え込んだストレスを誰かに投げつけるタイミングを見計らっているような人が多いと思う。

 

 

世の中の人が騒いでるものごとのほとんどは、おれにはどうでもいいことなんだけど、

みんなとにかく周りで起こることを自分のこととして一喜一憂したりちゃんと考えたりしているんだろうなあ。

 

大人になるまで気づかなかったけど、周りにいわゆる"まとも"な人がいないような環境で育ったおれが、愛おしく思えるようなものがだいたい世の中では、けしからんとされることみたい。

どうしようもない酔っぱらいも、煙草も。

手放しで楽しむようなことも、おれが子供の頃よりも明らかに街からなくなっちゃったよなあ。

そおっと生きることがベターみたい。

 

 

最近チャカカーンのファーストをよく聴いている。

アルバムを通してサウンドからもう最高だ。

メロディよりリズムで歌う人が好きだ。

ということは、必然的に黒人はほとんど大好きだし黒人に憧れた白人や日本人がやるロックンロールも無条件で最高ってことになる。

チャカカーンなめてた。

最高な人がとにかく多すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スコールで足止め。

咄嗟に入ったインド系のレストランでバナナラッシー。

 

 

ここはラオス。世界一なにもない首都、ビエンチャンは夜の始まりを雨雲が包み込んだ。

ナイトマーケットは手早く撤収。

 

 

ラオス最後の夜の予定だ。

旅を始めて2週間。ラオスを10日くらい旅した。

明日、国境を越えてタイに入る予定。

すぐそこを流れるメコン川の向こう側はタイ。

500メートルも向こうにタイが見える。

 

 

2年半のタイムラグは一瞬で埋まった。

2週間も毎日、移動手段や今夜の宿、いい店や安いビールのことに集中していれば

とっくに旅が日常になってるわ。

 

 

観光客も戻ってきているみたいだけど、バックパッカーみたいな人や一人旅の人をほとんど見ない。

例によって町を歩こうがレストランに入ろうが、ひとりぼっちのやつなんておれくらいのもので、それが心地よくもありながらたまに寂しくなったりもしてる。

美味いものも素晴らしい景色も、言葉にして誰かに共有することができない。

周りではファミリー、カップルがその場を共有してる。

沢木耕太郎の言葉、「旅の道連れは自分自身」ってのを心得てるつもり、だけど。

 

特に英語の話せる人の少ないラオスでは、親しい話相手ができるわけでもない。

まあそんなもんなんだ。一人旅。

逆に一人だから味わえる感動や景色もあるし、一人だからこその不安。これに旅のフィーリングのほとんどが詰まっていると思う。

 

驚くべきことに、旅を始めて2週間。

ビールに氷をガンガンに入れて飲んでるし、

食べ物もなにも気にせずばくばくとやってるけど、今のところお腹を壊してない。

どころか日本にいる時よりも安定してる。

今朝までエアコンのないムンムンとした部屋に泊まり、必然的に2晩、ファンを全開で寝た結果、鼻風邪をひいたくらいのことだ。

どうしても鼻は弱いんで想定内。

 

数年かけて体がつくってきた旅の免疫は2年半の時間をもろともしなかった。

この免疫のある体はパスポートの次くらいに大事で、おれの中では運転免許なんかよりも大事で誇らしい能力だ。

 

なんでもばくばく食べて、ぎゅうぎゅうバスの長距離移動。トイレと一緒になった水シャワーで1個の石鹸で全身洗う。

タフに旅できていることが我ながらやるじゃんって感じだ。

 

 

明日からタイの旅が始まる。

相変わらず小まめな移動の連続、毎日炎天下。

少し気合いを入れ直して。

大都市バンコクを目指して。

バンコクの二郎系ラーメンを目指して。

 

知らない知ってる

 

真夏じゃんね。ぎらぎらの昼間に働いてらんない。

いつものベローチェに逃げこんだ。

 

達郎兄やんのFor Youを聴いてる。

Come Along    Melodies    For Youがおれの中での山下達郎3大クールなアルバムだと思ってる。

 

 

あと1週間もしたらラオス、タイの田舎を旅するってのにすでに東京の夏にへばってて大丈夫なのか。

アジア免疫も期限切れでお腹も壊すかもしれないし。

 

コンスタントに旅をしていた頃よりもこの2年半で、海外に行くということのハードルが上がっているのは確か。自分の中でね。

 

 

おまけに予定では国を跨ぐごとに、全部で4回の抗原検査。

これがパスできないと旅の予定が狂う。

とにかく無事向こうに着いて旅が始められてしまえば全部ぶっとんで楽しくやれると思うけど。

 

 

目に見えないものがたくさん欲しい。

エクスペリエンス。自分や人の気持ち。

フィーリングとして一つの場所に留まるみたいなことが大人だとしたら、おれは少なくともまだしばらくは大人になれないかもしれない。

 

 

とにかく真剣に"暮らし"というものをやっている。

いろんな物事とか自分自身の中でたくさんいらいらしたりすることが、昔から邪魔に感じたりしていたんだけど、最近それが嬉しい。

いらいらすることを排除しようとすると、自分の中でなにごとにも綺麗事を塗り込めるようになる。

 

おれたちくらいの世代を世間では悟り世代なんていうけど、20代そこそこで悟ってたまるか。

ロンドンパンクのアルバムの邦題みたい。悟ってたまるか。

むかつくことにはしっかりむかついていたい。最大級のリスペクトを込めて。

 

いいと思ったものは誰がなんて言おうといい。

嫌なものは誰がなんて言おうと嫌。

めちゃくちゃ正直で当たり前のことだけど、東京である程度まともに育ってきた肌感からするとそれってなんて自由なんだろう。ビートルズじゃんね。

 

 

 

とりあえず世の中の多くの人みたいに、ご飯は3食食べなくちゃ、夜は寝なくちゃ、死なないように気をつけなくちゃみたいなのが欠如した世捨て人サイドの暮らしのおかげでとにかく楽しくやれてる。

 

どうならなくちゃみたいなものはいつも自分の中にしかない。

おれの中では夜は寝なくちゃ、よりも楽しく暮らさなくちゃとか、心が豊かになりたいとか、もっとブルースを吸収しなくちゃ、とかだ。

 

よく考えたらあなただってちょっとはそんな気持ちになるでしょ?

 

 

 

いつも旅が近くなるとすこし億劫な気持ちになってくる。

あと1週間ないくらいで旅立つんだけど、例に漏れず今回もそれだ。

2年半あれだけ我慢してきたのに、今はラオスの最果て遠いしめんどくせー、みたいな気持ちだ。お前が決めたんだろう。

もちろん行っちゃえばなにを考える暇もなくスリリングで面白いんだけどね。

 

とりあえず抗体検査でネガティブが出るようにテクニックを身につけておこう。