秋の匂いがする雨が降ってる。
コロナ禍を挟んで2年半ぶり、
ラオスとタイのイサーンの旅から東京に帰ってきたんだけど。
田舎のカルチャーや風習はディープで、
とにかくローカルに揉まれて、現地人のフリをして最高な5週間だった。
久しぶりのバンコクもコロナ禍をほぼ終えて、ほとんど今まで通り。
駅で電車の路線図を見るだけでも、
明らかに数年前よりもぐんとビッグシティになっていたし、物価もまた上がった感じがした。
それでもデパート服屋のお姉さんはフロアにあぐらをかいてご飯食べてるし、
トゥクトゥクのおっさんは道端で昼寝してるし、
とにかく相変わらず大都市なのにのんびりとしたバンコクだった。
コロナ禍で長い時間が空いたことで、どこか新鮮に旅の感覚を思い出した。
一人旅では、自分をゴキゲンにすることだけを考える。
そこにマストなことはなく、嫌ならやらなきゃいいし、やりたいなら強引にでもやる。
とにかく自分自身と旅をすることだけで忙しい。
リアルタイムで人がつくり出す光景に勝る美しさはない。
前から思っていたことだけどさらに強く実感した。
遺跡や綺麗な絶景よりも、小さなお寺で手を合わせる現地の人たちの姿の方がおれはたまらなく絶景だと思ってる。
東南アジア、は宗教が身近。
今回旅したタイ、ラオスは特にそれで、
敬虔でありながらどこか身近。
ぶらっとお寺に行って、丁寧にお祈りをするし、
ひけらかすこともせず当たり前のように、人に手を差し伸べる。まるで家族みたいに。
そんな過去の遺跡アンコールワットよりも素晴らしいと感じる光景は町中にある。
ただ町を歩いて、現地人に混じって屋台飯を食べて、お寺で見慣れない仏様に手を合わせる。
彼らと同じ場所でできるだけ同じような暮らしをすることで、その気持ちに少しは近づける、ということがおれの旅の一番の収穫だ。
帰ってきた真夏の東京はタイよりも暑く、
早速夏バテ。
相変わらず静かでクリーンな都市で、
ホームタウンの安心感はあったけど案の定、
1週間もしたら飽きてしまった。
あからさまに個人プレーの集合体みたいな雰囲気はどうしても寂しく感じてしまう。
最近の東京は、抱え込んだストレスを誰かに投げつけるタイミングを見計らっているような人が多いと思う。
世の中の人が騒いでるものごとのほとんどは、おれにはどうでもいいことなんだけど、
みんなとにかく周りで起こることを自分のこととして一喜一憂したりちゃんと考えたりしているんだろうなあ。
大人になるまで気づかなかったけど、周りにいわゆる"まとも"な人がいないような環境で育ったおれが、愛おしく思えるようなものがだいたい世の中では、けしからんとされることみたい。
どうしようもない酔っぱらいも、煙草も。
手放しで楽しむようなことも、おれが子供の頃よりも明らかに街からなくなっちゃったよなあ。
そおっと生きることがベターみたい。
最近チャカカーンのファーストをよく聴いている。
アルバムを通してサウンドからもう最高だ。
メロディよりリズムで歌う人が好きだ。
ということは、必然的に黒人はほとんど大好きだし黒人に憧れた白人や日本人がやるロックンロールも無条件で最高ってことになる。
チャカカーンなめてた。
最高な人がとにかく多すぎる。